東京農業大学ラクロス部 男子 -6ページ目

2025 引退ブログ 山口学



同期で一番笑顔が輝いているレオから回ってきました。


平素よりお世話になっております。4年SSDMの山口学です。農大ラクロス部を支えてくださっているOBOGの方々、保護者の皆様、学校関係者の皆様に心より感謝申し上げます。右も左も分からなかった僕も、ついにブログがラストとなってしまいました。拙い文章ではありますが、どうぞよろしくお願いします。




朝4:20に『海岸で』のアラームで起床。前日に準備しておいた白米、味噌汁、サラダ、ミニトマト2つ、目玉焼きとハム2枚を脳死状態で胃に流し込み、4:45までに武田に起床確認(最近はしてないけど)。4:55には家を出て、自慢の最寄りの高尾駅へ。南武線の乗り換えではエスカレーターを歩く派なのでレオを追い抜き、小田急登戸へ。経堂に着いたら必ず改札を一番に出るが、レイナに抜かされ、ダイキにチャリで抜かされ、最後はレイに追いつく。そこからはレイと駄弁りながらグラウンドへ。そんなルーティーンもあと数日と思うと、ちょっといや、けっこう寂しい。


大学受験を気持ちよく終えられなかったからこそ、「上手くいったやつより充実した大学生活にする」と心に決めていた。だからこそ、挑戦の意味を込めて、未経験の球技・フィールドスポーツであるラクロスが輝いて見えて、入部を即決した。




そこから僕がSSDMになろうと思った理由は2つ。
①当時からキレッキレでカッコよかった水島相手に、一度だけgood defenceができて、当時4年のゴエさんや財津さんに褒めてもらったのが、バカ嬉しかったから。
②当時4年のタイガさんに「ショーディーが強いチームは負けない」と言われたから。――もう、俺がなるしかないやん!単純な僕は、その言葉にまんまと心を掴まれてショーディーを続けることにした。


2年になり、大川智久さんに「ただでさえOF有利のスポーツで、局所的に同数か有利な状況を作ってボールを奪い、攻撃につなげる」と教わり、DFってさらに面白いなと思えた。人数が少なく不安材料出会った俺をベンチに入れていただきありがとうございました。ここで考え方や基盤を学べました。


3年、益子がSSDMに転向してきた。心強い存在だったが、同時に悔しかった。パスもクロスワークも対人も上手い。まじですごい。だからこそ筋トレや壁当て、DF組織での意見出し、声出しを誰より考えた。武者で来てくれたSSDMとは必ず話すようにしたし、インスタを漁って社会人選手にDMして教えを乞うたりもした。多分、この年が一番成長できたと思う。さらに3部に落ちた悔しさもあり、「今年で絶対に2部に戻さなきゃ」と必死にやっていた。


4年、気づけば最高学年。
今までラクロス部にいながら、ベクトルはずっと自分に向いていた。部活全体に意識を向けられたことがあっただろうか。現幹部陣が2年、3年の頃からこのラクロス部を引っ張っていたのに、僕は自分のことばかり考えて動いていた。最高学年として部やDF陣を本当に引っ張れたのか――胸を張って頷けない。でも残りの試合、チームに何かを残せるようなプレーを目標に、走り切る。




ここからは感謝を。ラストブログあるあるで少し恥ずかしいですが、この場を借りて書きます。


DF陣へ
今の雰囲気、めっちゃ好きです。あゆむやこうせいが書いていたけど、俺も本当にそう思う。反省の場を作ってくれるあゆむ、ありがとう。人数が少ない中で怪我人も多かったけど、いつも助けられて心強かった。いい文化は引き継いで、直すべきところは徹底的に直して、最強のDF陣になってください。


同期へ
怪我で苦しかった時も、頑張る同期を見て俺も頑張れた。同期スタッフの安定感のある支えもあって、自慢の同期です。モチベです。この充実感は、今いるメンバーが誰一人欠けてもなかったと思う。フッ重だけど、これからも飲みに誘ってください。卒業してもこの関係がなくなるのは寂しいので。


両親へ
朝早くから動き出す僕に何度も起こされたと思うし、怪我も多くて心配をかけました。それでも必ず応援してくれたからこそ、最後まで走り切れました。合宿費や交通費、ゆっくり返すので待っていてください。




最後に、農大ラクロス部に入れてよかった。
入部理由は達成できたと思う。
そして、いままでに関わって来た全ての人に感謝します。



山口学



次は農大1優しい肉弾戦車こと佐々木くんに回します。




2025 引退ブログ 藤谷嶺央



平素よりお世話になっております。4年MF藤谷嶺央です。農大男子ラクロス部を支えてくださっているOBOGの方々、保護者の方々、学校関係者の方々に感謝申し上げます。ラストブログを書かせて頂こうと思います。拙い文章ですが最後まで読んで頂けたら幸いです


よく怖いと言われるはやとから回って来ました僕です。


これを書いている時はまだリーグ戦も終わっていない。残る試合も後2つ。
どんな結果になってるんだろーなーとか思いながらブログの内容考えている。



とりあえず色々振り返って見ますか。


まず、これは書こうと思っていたことを書きます。それはラクロスを始めようと思ったきっかけからです。


大学に入学して割と初めの方に話したのが黒田くんでした。他にも色んな人と話したけどなんか個人的に合う人がいなかった。しばらくして
しゅうとやゆうがに出会って周りそのまわりにいた人達が楽しそうだった事もあり、何となくこの人達について行こーって思いました。


そしてみんなで新歓の色んなところを見ていてラクロス部のブースで話を聞いて割と早い段階でれいとしゅーとが入部を決めました。
マジか絶対部活なんかやりたくないんだけどと思っていた僕の唯一の頼みはゆうがでした。
ゆうがは他の所と迷ってた感じあったから頼む部活はやめてくれと思っていました。
その願いも叶わずゆうがもラクロス部に入ることを決めたした。


今でもあの時の事は覚えている。僕以外みんなラクロス部に入ると決めて帰った時のこと。すごく距離感を感じた。
割と人生で1、2をは争うレベルで悩んだ。部活をやる気は本当にない、けどここで入らない選択をしたらこの人達との関係は終わりそうな気がした。なんかここで引いたらダメな気がした。


ただの直感でラクロス部に入ることを決めた。
今はまだ興味無いけどやっていくうちに楽しくなってくでしょ。そんな感じだった。


いやー我ながら素晴らしい判断をしたと思うよ。
割とこういう選択は失敗しないんだよねー


いざ入部してみて思ったことは辞めたいだったね。
朝は早いし、やる気がある訳でもない、周りのみんなはやる気があって熱量に差を感じてめちゃめちゃ居ずらい環境だったね。


10月くらいかな辞めるかって本当に思ったね。
ラクロス楽しくないし、特に誰かと仲良くなったとかでもないし続けてる意味ないなって思って辞めようとしたね。
けど途中で何かを辞めるって経験がなかったからいざ辞めるって決意しても変なプライドが邪魔して辞めなかったね。あとれいにふとした時に辞めようかなって伝えたのも要因のひとつなのかもね。人に伝えた事で少しはモヤモヤが晴れて楽になったのかな?知らんけど。


2年生の頃はとにかく早く終わって欲しい年だった。
部の雰囲気が好きじゃなかった。
試合に負け続け結果は3部降格。ただただ眺めることしか出来ない試合だった。
悔しいという感情も無くこの年を終えた…


3年生
自分たちの代で1部昇格を目指すためにも必ず2部に戻らなくてはならない年だった。
分かっていたようで分かってなかった。なかなか難しい戦いだった楽に勝てたなんて試合は無かった。けど無事2部昇格できた。嬉しかった
チームもメンタルコーチングを導入の影響で雰囲気よくできた。入れ替え戦では多くの人が応援に来てくれてた。すごくいいチームだった。
 

4年生
学生ラクロスも最後の年。
昨年より雰囲気は良くない所からスタートした。幹部陣はチームのために全力を尽くしてくれていた。最高学年、チームを引っ張って行く立場の僕たちの甘えた態度に幹部陣は頭を抱えていたと思う。声を出してチームを盛り上げる。誰でも出来る簡単なこと。そんなことも出来なかった。この1年チームのために何かしたかと振り返ると何もしてない。
せめて最後にチームのためにできること残りの2戦勝ち切り昇格戦まで行き1部に上がることができたらチームのために頑張ったって言えるかな…


4年の内容だからしっかりしたこと書こうかなって思ったけど無理だ。特に何もしてないから笑


一旦振り返ってみたけど4年間で1番印象に残ってるのは入部するところだった。


悩みとかもあったんだと思うけど性格上あんま悩まないし、忘れてるってことはしょうもないことなのでしょう。
でも確実に言えることは4年間で1番今年がラクロス楽しかった。どんなに朝がきつくても部活に行ったら来てよかったと思える日々だった。あー続けてきてよかった。


引退寂しいな。最後の試合とか終わったら泣くのかな?


最後に一応書くか。


同期へ
卒業して会えなくなるのが寂しいと初めて思えるような存在。それくらい一緒にいた時間は楽しかった。部活に行けばみんなと話せるこれも部活を続けられた理由だと思う。


後輩へ
後輩の面倒とか全然見れないタイプなので色々絡みずらい所とあったと思う。ごめんね(*´³`*) ㄘゅ。
残りの時間全力で楽しんで欲しい。


最後に1番感謝したい方たちへ。
れい、ゆうが、しゅーと、れいなの健康組。


間違いなくラクロスを続けてこれた要因。
部活外の生活でもいろいと助けられた。ありがとう。そして大好き。この一言に尽きる。また、健康飲みしようね。れいなもね


4年間関わってきた全ての人に感謝。


藤谷嶺央



次は小学2年生でも読めるし書ける名前の持ち主に回します。





2025 引退ブログ 逸見勇斗



頼れる審判3年ちひろから回ってきました

4年逸見勇斗です。ラストブログなので4年間の振り返りをしようと思います。




まずなんでラクロス部に入ったかを思い出してみればただ単純にかっこよかったからでした。友達と暇つぶしにラクロスを見に行って一回で魅了させられました。その時案内してくれたともきさんのアフロみたいなパーマは今でも覚えています。




一年の頃はみんなのより少し体が大きかったので技術ではなくフィジカルでなんとか通用していたので自分は結構センスがあって上手いんじゃないかと思ってました。でも一年まででした。同期もみんなレベルアップして置いていかれるのを実感していました。



もっとしっかりラクロスに向き合おうと思い両親にお願いをして一人暮らしを始めました。(朝とうまと一緒に学校に行けなくなるのは悲しかったけど)

それから元々大学近くに1人暮らししてただいきとたかあきとよく自主練するようになりました。練習終わりにサミットでうどんとパンを買って希望ヶ丘公園で自主練する日々はものすごく楽しく意味のある物になったと思います。ある時は龍之介と松屋の朝定食を食べて用賀でブランコだけの日もいい思い出です。



リーグ戦にも出るようになり,先輩達と戦っていく中でまだまだ自分の力不足は感じていました。しかし練習や試合などで成長していない自分対して何くそ根性がなく中だるみしていだ時期もありました。ゆっくりねたいし,飲み会行きたいしなんて思ってました。それでも朝起きて練習に行けてたのは一緒に戦うチームメイト,同期がいたからだと思います。



最上級生になってからかは自分はこのチームにAT以外としての存在意義を考えることがより多くなりました。仕事はほとんどなく幹部のまつけん、だいき、たかあきなどの忙しく、チームのことを深くしっかり考えている同期を見ていると,俺なんもしてねーじゃんって思ってました。足首の怪我もなかなか治らず練習にも参加できない日々は本当に無力感を感じてました。初戦の学習戦前日に同じ足首を怪我した時は,チームに迷惑かけて落ち込んだし,申し訳なかったです。



明星戦に向けみっちーさんが、ウルフメンタリティ、ハッスルといっていた時に自分にはこれしかないと思いました。死に物狂いでボールを落としに行く、グラボに行く、自分も心身ともにに強くなれたしチームも確実にレベルアップした時期だと思います。




リーグも後半だけどまだまだやれることはたくさんあると思います。自分なりのやり方でチームに貢献し、残り二戦全力出し切って目標の一部昇格を成し遂げます!





まだ引退してないけどラストブログ兼引退ブログらしいので一応メッセージ的なの手短に書いときます。



同期

長ったような短ったような四年間だったなー

俺のラクロスモチベーションはほぼ同期でした。みんな仲良くてアップのペアも四年生同士で組むよな。二次会の参加率は以上に低いけど。四年間楽しすぎました。ありかどう。社会人編でもみんな頑張ろうなー。飲み会誘ったら来てね。

一人一人伝えたいことはもちろん山ほどあるんだけど長くなので酔っ払ってる時伝えます。

小言だけどとうまが本当にやめなくてよかった。お前にしか作れないあの雰囲気はチームの中でも唯一無二だわ。会社には同期1人もいないらしいけど俺らがいるかな!



後輩へ

楽しく全力で最高のチームを作ってください!

俺からのアドバイスはあんまないわ!こんな先輩だけど一緒戦ってくれてありがとう!

応援してます!



父母へ

お父さんは俺が一年の時からリーグ戦応援に来てくれてたね。単純にラクロスに興味が湧いたのかな。お母さんには怪我をよくして心配をかけました。ラクロスが出来たのは2人のおかげです。本当に感謝してます。ありがとうございました。



恥ずかしくなってきたんでこの辺でやめます。



最後にこの4年間関わってくれた皆様本当にありがとうございました。



逸見勇斗




次はいつもは冷静だけどたまにツッコミのむずいボケをするれおに回します!