ついでだから言っちゃいますが、指を折って〇時〇分から△時△分まで、何時間何分あるかを数える私ですが


結局は、


まだ余裕とか、けっこうヤバイという言葉で片付けてしまいます(笑)


この辺は、理系脳の我が家のマジョリティーの人々には信じられないアバウトさらしいです



うちの子漢字を覚えるときも面白いです



先日は、痩せるという字を書いていて、「へぇ~難しい字書けるんジャン」って言ったら、「普通でしょ、っていうかかけないママが信じられない」って言われました^^;


読めるよ~、ママだって・・・


という言葉もむなしい



ちなみにさ、どうやって覚えるわけ?って聞いてみると



これはね、ママをイメージして覚えたんだよという娘の言葉(いやな予感・・・)


ママってさ、今度こそ痩せる~っていつも言ってるでしょ、それって病気じゃん

だから病ダレ  


そしてね、作りの下の方は又っていう字で、その上に由でしょ

だから、 痩せるって「ゆってる(由)よ、また(又)、」って覚えるの!



おもわず


すっごーい(はくしゅ~!!)



それをなにげに聞いていた夫が私に向かいぼそっと



「おまえ、どこまでアホやねん」 




文系は理系にバカにされる・・・

これって世の常識なのでしょうか?



ナビもわからんしね~


あと何メートル先の、何メートルがわかんない


赤い建物とか、おっきい木があるとことか言ってくるといいんだけどね


文系ってとかくこの世は生きにくいよね

今日の日経朝刊


理科や算数 大人になって役立っているかという問いに対し


全体では61%が役に立っているとの答え


そのうち理系の人は、役に立っていると答えた人が70%以上


一方文系の人は、50%ちょっと



私はどうだろう?


計算はある程度はできてよかったと思うけど、難しい算数とか数学は何を習ったかも覚えていない


理科ともなると、小学校低学年レベルの「観察系」くらいまでは、子供の宿題にもついていけたけど、「実験系」は出てくることばでさえ、「それってなに?」ていう状態


社会は・・・歴史も散々だし、地理も「えーっと、どの辺だっけそれ?」だし


国語ね、本を読むのは好きだけど、やっぱり楽しみのレベルであり、「深い洞察力」なんてものは全くの無縁



アンケートで気になるのは、私のように文系頭の人の知識が役にたたない感が若干多いところ


確かに中学受験の算数なんて、なんですか?っていう感じで手も足もでなかったものね

役にたってないです、文系頭は


その点、理系の夫はやっぱり強さを見せつけてましたね

そういう意味では


やっぱり文系脳は理系脳に負けるのか!?




娘は結構数学好き


驚いたのは、ドライブとか行って渋滞にはまった時、うちの子は小さいときから車のナンバー計算して暇つぶししていた

(夫が運転、私は助手席、娘は後ろの席にポツンというのが定番)


44-23っていうナンバーだったら、44-23=21 みたいな感じ


そのうち大きくなるについれて、掛け算したり割り算したり最大公約数とか最少公倍数とか


こっち系になると、私はいつも蚊帳の外(私はごろ合わせがせいぜいですから^^;) 夫と子供で計算の速さを競ったり


へぇ、そんなことして遊ぶのねって感じ



娘に言われてなるほどって思った話もう一個


例えば今8時半で、午後3時までにあと何分みたいなとき


私は、指を折ります(笑)

 

9時半、10時半、11時半、12時半って感じで



私がいちいち指を折ってたら、娘が「ママどうしてそんなことするの?」って


こうやって、こうやって計算したらすぐわかるでしょって (その計算方法、忘れた^^;)


あとなんだっけな~

それさえ覚えていない私ってホントおばかさんなんだけど、他にもあったな~、すごい!そう考えるの?ってこと

こういうこと覚えていると、生活に役にたつのね算数が・・・っておもったんだけど(その時は)



娘を見ていて感じることは、分類をするのが早い


ここは、こういうのが一緒だからこういうグループ


みたいな



そういうのは理系脳なんだろうか?

でもって、それって遺伝子?



数字大好き少女は、今朝6時から勉強合宿にでかけました


夕べになって、娘の合宿が2泊3日ではなく、3泊4日であったことが判明(というか、知らないのは私だけ)


この辺も数字にアバウトな文系脳のなせる技なのか・・・


すべてが「だいたいそんな感じ」っていう



数学、頑張って選抜になりたいって言っていきました

上位クラスは、2学期の授業も先取りしたりして面白いんだって、授業が・・・



私のDNAが娘の将来を邪魔しないようにと願うばかりです


新聞紙面を使って、秋元康がメッセージをおくっています



秋元さんといえば、日本に「女の子」というブランドを作った人じゃないでしょうか?




日本人の好きな「かわいさ」



かわいいを代表する女の子たちが、にぎやかに歌ったり踊ったりする姿は、それだけでその存在が価値となる


そんな「女の子」というブランド




ブランドから、何人もの「特別な」人がこれまでも出てきたと思うのですが、折り返し地点の秋元さんだから言えるコメントかなって思いました




最初はもっと歌が上手になりたい、とか、もっとダンスがうまくなりたい、とかいうとってもシンプルな向上心であったり



もっと喜んでもらいたい、というとっても素直なうれしさだったりして、スタート地点にはたくさんの人がいるのだけれど



ただただ一生懸命前を向いて走っていたら・・・気が付くと一人だけになっていて



一人になると、風も真正面から受けるし、時に人々の関心はよそに移っていたり、心無い批判が待っていたり



ひとりだけ突き抜けちゃた瞬間、ひとりだけ見える風景が違っていて、むしょうにさびしかったりでも戻れないのはよく分かっている



救われたいと思っても、だれも救ってくれないことは、本人がよく分かっている



誰も救ってあげられない、そうなんですよね



その場を自ら降りないことには、救われない


でも、降りたところで、やっぱり一人であることには変わりがないのだけれど



前田あっちゃんという若い女の子のそばに、心を預けられる人がいてくれたらいいな、と思います


自分を救うのは自分しかないけれど


でも、もし心を預けられる人がいたら、また自分の「あるべき場所」にもどっていく勇気もわいてくると思う



共感って簡単にいうけど、100%気持ちをだれかとマッチさせることはできない

あくまでもイマジネーションの世界

まして、その人が体験した、たぶん普通の人が体験することができないようなある意味特別な体験は、そう簡単に共感なんてできないのだと思う


これはだれかが特別というわけではなく、だれもが特別という意味で



だから、やっぱり、結局は一人であることを認識しなくちゃいけないのだけれど、それでもやっぱり時には心を預けたい



そんな風に思って、彼を文章を読みました