ほめ言葉と自信の関係
前の記事で「ほめる」について書いた後、さらに考えてみた。--------------先日、『嫌われる勇気』の読書会で第4章を読んだ。盛り上がったのは「叱ってはいけない、ほめてはいけない」について。『嫌われる勇気』にはこう書かれている。++++++++++++++++ほめるという行為には『能力のある人が、能力のない人に下す評価』という側面が含まれています。(P197)++++++++++++++++わたしもある時期から、「ほめる」は上から下への評価と感じるようになった。今はできるだけ、「上手だね」「えらいね」「クラスでトップ!」のような評価言葉を使わないようにしている。たとえば親子関係で考えたとき、評価言葉でほめられるということは、子どもが、親が持つ「合格ライン」を満たしたから「良い」「上手」とほめられるということだ。逆に言うと、その合格ラインを満たさないとほめてもらえない。しかもその合格ラインは、親の機嫌によって高くなったり低くなったりするだろう。親の合格ラインは、子どもを苦しめることがある。「次はこれ以上の成果を出さないとほめてもらえないかもしれない」とプレッシャーになる。親にほめられるために頑張るというのは、自分のためにがんばりたいと感じてがんばるのとは違う。親にほめられるために頑張る癖がついたら、ほめられなくなったときに頑張らなくなるし、自分の希望より親の希望を優先してしまうことになる。評価言葉を使わないなら、どうやって子どもをほめるか。どうやって子どもに自信をつけてやれるか。わたしは自分が翻訳したアメリカの子育て書『やさしいママになりたい!ギノット先生の子育て講座』で、「描写言葉」を使う方法を知った。描写言葉というのは、親が見たまま、感じたままを言う(描写する)言葉だ。たとえば、子どもが太陽と女の子の絵を描いたとする。それを見た親は、「上手に描けたね」と評価するのではなく、「女の子がニコニコ顔で散歩してるね。天気が良くて気持ちよさそう」と見たまま、感じたままを言う。子どもにとっては「自分が描いた絵にママが興味を持ってくれた」という経験ができる。親が自分の作品や自分を大切に思ってくれていることを、親の言葉や眼差し、態度や全体の雰囲気で感じ取る。そうした経験の積み重ねで、「わたしは大切な人間なのだ、愛される価値のある人間なのだ」という感覚が根付き、本当の自信=「自分の存在への自信、自分が自分であってよいという自信」がついていく。「上手だね」と評価されて自信を持つ子もいるだろうけど、評価言葉でほめられ続けることは、前述したように子どもにとってはプレッシャーとなり、やがて頑張りきれなくなって自信をなくすだろう。上手、賢いなどと言われ続けて自信をつけた子は、そのようなプラスのレッテルを貼ってもらっているだけだ。自分の「存在」への自信ではなく、自分の「能力」への自信がついていると言える。能力への自信は、その能力が通用しない環境に置かれたとき、消えてしまう可能性がある。自分より上手な子、賢い子が表れたら、「上手な自分」「賢い自分」というプラスのレッテルがはがれるからだ。いっぽう、具体的な描写言葉をもらい続けてきた子は、自分の中からわいてきた揺るぎない自信、自分が自分であってよいという自信をつけている。上手にできようとできまいと、成績が良かろうとそうでなかろうと、そこに自分がいていい、自分が自分であっていいという「存在」への自信だ。外から貼り付けられた薄っぺらい自信とは違う。参考:やさしいママになりたい!―ギノット先生の子育て講座Amazon(アマゾン)277〜4,125円2分間の音声配信【モーリーの小さな幸せ研究室】子育て中の親御さんを応援しています!【PTA講演会のご案内】勉強会や講座のお知らせ、「心」についてのつれづれ【メルマガ「ノブリの森」】オンライン個別セッション【ホワイトボード・ミーティング®を使った、心が元気になるセッション】森かほりへのお問い合わせ【お問い合わせ】