2017年1月17日から25日までの約1週間、お母さんは、イギリス(ロンドンとケンブリッジ)トルコ(イスタンブール)を巡る旅に行ってきました。
 
【出発】
午後3時頃家を出て、日暮里までJRで、そこから先は京成線で成田空港に行きました。出発時間の3時間半前には着いていました。
まず、最初に、両替です。イギリス・ポンド(£)は、1£=148.53円でしたから、ネットで調べておいた時価(145円)からみてほぼ妥当な利率でしたが、トルコ・リラ(TL)は、1TL =47.96円でしたから時価(33円)の5割増しという強烈なボッタクリ利率です。なぜこんな利率なのかと聞いたら、「政情などの状況を考慮して、このような利率になっている」という説明でしたが、まともな説明になっていません。いずれにせよ、この時、3万円を620TLに両替してしまったのは大失敗でした。イスタンブール現地での利率は1TL = 31円でしたから、2万円で620TLを手にすることができたのです。
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出発便の案内ボードを見ると、夜9時以降の時間帯の出発便はハワイ行きが多いようです。北ウイングは全てハワイ行きでした。2週間後には、この中のいずれかのハワイ行きに乗ることになっています。
今回の旅行は、トラベル・スタンダード・ジャパンという旅行会社の自由パックツアーを利用し、航空券とホテル(ロンドン:3泊とイスタンブール:2泊)をとってもらっただけで、後はすべて手作りの旅です。出発前にメールで送られてきたホテルの名前と住所を元に、グーグル・マップで最寄駅からタクシーを使うことなく歩いて行ける場所であることも、歩く道順もストリートビューで確認しておいたので何ら心配は有りません。
 今回利用のトルコ航空のチェックインカウンター利用客は疎らでした。成田~イスタンブール間の利用者は、行きも帰りも4割以下でした。しかも、ANAとユナイテッドとの3社共同運航便でこの程度でしたから、近年のトルコの政治情勢ニュースで利用客が激減してしまったのでしょう。しかし、地球の平和を乱す勢力が、衰退の一途を辿るのは必定の確定路線です。何の心配もありません。
《成田⇒イスタンブール》
 TK53便は、定刻通り22:30頃、飛び立ちました。巡航高度に達するとすぐに機内食がでてきます。深夜12時頃の夕食です。
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食後、お母さんは寝ていたようですが、貢一はなぜか眠くならなかったので、家から持ってきたピーター・ミルワード著の 『イギリス – くにとひと』 (英友社) という古書を読んでいました。
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乗り継ぎのイスタンブールに着いたのは約12時間後の朝5時。日本とトルコの時差は6時間です。乗り継ぎ時間が4時間ほどあったので、空港内をプラプラ散歩してみました。早朝だというのに利用客の多さにちょっとビックリでした。
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人通りの少ない場所を選んで休んでいると、機内で前の座席に座っていた、日系2世のブラジル人の68歳のおばちゃんが近くにいたので、長いこと話していました。日本に住んでいた孫を連れてブラジルに帰るところだということでした。携帯電話に入っていたブラジルの立派な家の写真なども見せてもらいました。おかげでお母さんは、長い待ち時間を退屈せずに過ごせました。
《イスタンブール⇒ロンドン》
ロンドン行きの飛行機は、ほぼ満席でしたが、ビジネスマンらしき人は意外にも殆ど見かけませんでした。カジュアルな服装をしていただけなのかもしれません。
機内では、先に読んでいたイギリスに関する本を読み終えてしまったので、オスマン帝国の最盛期に活躍した建築家の名前である 『シナン』 というタイトルの小説を読んでいました。夢枕獏著のこの本を読んだ人は、必ずやイスタンブールに行きたくなるはずです。今回のこの旅では、先にロンドンに行き、帰りにイスタンブールを観光することになっています。
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飛行時間4時間半ほどでロンドンのヒースロー空港に着きました。イギリスとトルコの時差は3時間です。着いたのはイギリス時間の午前10時です。
パスポートコントロールの黒人の係官は、ロンドンでの滞在日数や次の目的地を聞いた後、お母さんの年齢を確認して「too young(とっても若い)」と言いました。東洋人は西洋人に較べてやや若く見られるのが普通のようですが、無機質的だったり不機嫌そうな係官が多い中、落ち着いた感じで親切な対応をしてくれたこの係官の印象がよかったので、心は快晴でした。
 そしてロンドンの空も快晴でした。天候は旅の印象を大きく左右しますから、思わず「ラッキー」と叫んでしまいました。とても冷たい空気でしたが、快晴であればどうってことありません。お母さんを車椅子に載せて、電車のマークがある方向に向かってスイスイ進みます。
空港とパディントン駅間は、エクスプレス(特急)が何本も走っていますが、これには乗らずにコネクトという途中停車駅が4つある電車に乗ります。自販機にタッチしてエクスプレスの料金を見たら片道32£と表示されました。しかもエクスプレス専用でコネクトの発券はできない自販機だったようなので、カウンターにいた女性係員に「コネクトのチケットを買いたい」と言うと、改札前のコンコースにいた別の黒人のオバちゃんが担当してくれました。コネクトの料金は、オープン・リターン(使用日時任意の往復切符)で僅かに21£でした。乗車時間20分が30分に、10分ほど長くなるだけで、ほぼ3分の1の値段です。30分乗車で10.5£(1500円)でも安くないのに、20分乗車で32£(4500円)は馬鹿げています。
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ホームに出た時、ちょうどコネクトの発車数分前でした。ところが、黒人のオバちゃんが肩に掛けて持っていた小型の携帯用発券機が作動せず、なかなかチケットが出てきませんでした。発車に間に合わなかったので、同じホームから次に出発した「エクスプレスに乗っていいよ」と、ホームの係員にも伝言していってくれました。良識的な対応に、ちょっと安心しました。
エクスプレスの車内は紫色で統一されていました。車内の乗客は、殆どがビジネスマン風の人々でした。動き出したエクスプレスが地上に出た時、貢一が最初に発した言葉は「ハロー ロンドン」でした。猫の親分とオックスフォードに本を買いに行った2000年4月以来です。
車内からレンガを積み上げた古い赤黒い壁や、石炭の煙で煤けたレンガの煙突が並ぶ集合住宅のような古い建物の風景を眺めながら、いかにも鉄道(蒸気機関)を発明し、世界で最初に産業革命をやり遂げた国であったことを思い出していました。
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間もなく、パディントン駅に着きました。
以前ロンドンに来た時は、ホテルがビクトリア・コーチ・ステーション(長距離バスの駅)に近い、ケンジントン公園の南側だったので、パディントン駅は使うことがありませんでした。今回のホテルは、パディントン駅近くで、ケンジントン公園の北側です。
前回、郊外へ行く時、キングクロス駅とウォータールー駅を使いましたが、パディントン駅の屋根の様子はウォータールー駅に似ていたと思います。
今回3泊するBeverley City hotelは、パディントン駅から歩いて僅か5分ほどのところにありました。しかもホームから真っすぐ道路に出て1回角を曲がるだけという分かりやすさです。トラベル・スタンダード・ジャパンの担当者さんが、お母さんの年齢を考慮して、最善の場所を選んでくれていたようです。(ありがとね)。小さなホテルですが、設備は十分で、申し分のないホテルでした。
 この付近の建物は道路に面して同じ外観が続くばかりなので、ホテルがあるとは思いにくいのですが、フロント部分の上階だけピンク色になっていることを、事前にグーグル・マップのストリートビューで確認していました。以前ロンドンに来た時に泊まったホテルもこのような外観のホテルでしたので、免疫はできており、違和感はありません。
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ホテルに着いたのはまだ午前11時半でした(日本との時差は9時間なので、写真の20:34は、11:34になります)。「チェックイン時間前なのは分っているけど、荷物だけ預かってください」と言ったら、チェックインOKにしてくれました。なので、「オー、エクセレント サービス サンキュー。サンキュー ソーマッチ」でした。
小さなホテルですが、提供してくれた部屋は、階段を上り下りしなくて済む、フロントまじかの部屋でした。車椅子のお母さんとの二人旅にとっては最善です。
お母さんは、茶系のジャケット赤のダウンに着替えて、さっそく観光に出発です。先ほど通った小さな飲食店やコンビニが並んでいる道を、逆に辿ってパディントン駅に向かいます。
パディントン駅を南側から見た駅舎は白で統一されていました。