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 学生時代によく目にした著者の本を持ち出して、イスタンブール経由ロンドン行きの機内で読んでいた。日本に滞在して著述家として名を知られるようになっていた著者の本職は、イエズス会の神父だった(p.111)らしい。1982年2月初版の古書なので、読んでいる端から背中のノリ付が折れてしまい、今はバラバラ状態。

 

【アベィとカシードラル】
 大抵の観光客は、ウエストミンスター寺院を訪れるだろうけれど、そこから10分も歩けばあるウエストミンスター大聖堂には行かない。前者のアベィ(Abbey:僧院から起こった寺院)は、ゴシック様式のイギリス国教会の教会。後者のカシードラル(Cathedral:大聖堂)は、ビザンチン様式のカトリックの教会。
 ここ(アベィ)にはジェフリー・チョサーの時代からの、イギリス文学の有名な作家たちが埋葬されている。あるいは、少なくとも墓石で記念碑が建てられている。シェイクスピア、ミルトン、ワーズワース、ホプキンス、T・S・エリオットのような詩人たちの墓は、どこかほかの場所にあるのだろうが、彼らの名前は、ここでもその功績によって賛辞を受けている。・・・中略・・・。この場所を一度訪れればイギリス文学のページをすべて巡礼しつくしたことにもなる。(p.25)
 シェイクスピアは、壁の中心にレリーフの人物像として彫られているけれど、その向かい側の壁には、音楽家のヘンデルが彫られた人物像があった。チャンちゃんはヘンデルがここに葬られていることを全く知らなかった。ヘンデルの『メサイア』を聞いて涙滂沱の経験をしながら、その後もヘンデルのことを何ら調べもせず、その生年月日や墓所を知ったのは、それから十年近くたってからという超~~~いい加減ぶり。
    《参照》   『ニギハヤヒ・シ♭』 山水治夫 (ナチュラルスピリット) 《前編》
              【ヘンデルの一番の名曲】
 (カシードラルは)アベィとは外観も内部も様式において異なっているが、それはそれ自体で威風を保っている。日本人観光客が訪れても少しもおかしくない場所である ―― カシードラルと、より歴史的なアベィとを混同しない限り。(p.26)
 チャンちゃん的には、赤レンガで造られた大聖堂の方に興味があった。機中で本書を読み終えた後、オスマン帝国最盛期を築いたスレイマン大帝に仕えた主席建築家の名をタイトルにした 『シナン(上)』 を読みつつ、イスタンブールに心が飛んでいたからである。
 大聖堂にはエスカレータで昇れる尖塔があるのだけれど、なぜか「登れない」と言われて、ウルトラがっかりしてしまった。

 

 

【ピーターパンの像】
 ケンジントン公園は、形式的にはハイドパークを西に向けて延長したもので、ヴィクトリア女王が幼年時代を過ごしたケンジントン宮殿に属していた。この公園で観光客を引きつけるものはこれといってないが、ただ一つ、ピーターパンの像がある。(p.48)
 前回はケンジントン公園の南側(ヴィクトリア駅側)、今回は北側(パディントン駅側)のホテルに泊まりながら、今回もピーターパンの像を探し損なってしまった。
 この本が書かれた頃はなかったのだけれど、現在のケンジントン公園の北西の角には、パリで暗殺されてしまったダイアナ妃のメモリアルがある。

 

 

【イギリスの道が曲がりくねっている訳】
 もしあなたが歴史に興味を持っていて、物事の真相 ―― どのようにしてイギリスの道はこのようにくねくね曲がりだしたのか ―― を知りたいと思われるなら、私の考えていることを申し上げよう。・・・中略・・・。イギリスの道路の大部分は封建時代に建設されたのであるが、これはまた、イギリスの私有財産の大部分が築き上げられた時代でもあった。そして、私は敢えて断言するのだが、この時期こそ民主主義的な時代であり、どんなに小さな土地の所有者の権利でも、だれもがこれを認めなければならない時代であった。如何なる大君たりとも、この小さな土地所有者の地所を通り抜けることはできず、そのかわり気をつけて回り道をせねばならなかった。・・・中略・・・。実際には独裁的であるのに、「民主主義の時代」と私たちが呼んでいる今の時代とは異なり、その時代は個人の権利を尊重した時代であった。(p.74)
 「民主主義の時代」より、「封建主義の時代」の方が“個人の権利を尊重していた”と言っている。正確には「封建時代」末期から「民主主義時代」の初期までは、より良く“個人の権利が尊重されていた”ということだろう。現在の民主主義において個人の権利順守など、ほぼ完全に無実態化しているのは誰でも知っているだろう。知らないなら、現実を知らない相当におめでたい方なのである。
 ところで、イギリスの道路がビートルズの曲名のように「long and winding rode」になったのは、“個人の土地所有権を尊重していたから”と言っているのだけれど、物流という視点から見ると、これははなはだしい経済的非効率を社会にもたらすことになる。同様に“個人の主張を過度に尊重する”と、料理の注文に際しても、ドレッシングは何だの、濃さはどうだの、焼き加減はこうだのと、様々な主張を聞き入れることになり、受注生産効率ははなはだしく悪くなる。日本人は、欧米諸国において、このような個人主義(≒民主主義)的な土壌によって培われた自己主張を受け入れる日常風景に接する度に、「日本人ほどの繊細な味覚もないのに、そこまで詳細な注文をしたところで、どうなるってんだ」と思いつつ、その非効率な自己主張のバカバカしさを感じて辟易するのである。
 強いて自分の権利を主張せず、強いて自己主張せぬ日本人的な民主主義は、欧米視点で見れば「本当の民主主義ではない」ということになるけれど、どっちにしても、今日においては、畢竟するに、「闇の支配者」による強権によっていいように支配され切っていることに違いはないのである。だったら、曲がりくねった道路の有り様同様に、社会に非効率をもたらす個人主義的な生き方は、日本人とすれば煩わしいだけである。(と思ってしまったのだけれど、これって独善的な見解?)

 

 

【イギリスを特長づける運河】
 イギリスでは、運河が規則正しい網の目のように、縦横に張り巡らされている ―― 多くの川も運河系統の中に組み込まれている。これらすべての運河は、蒸気機関車の発明と、その結果として生じた鉄道建設以前の産業革命初期に、なくてはならぬ輸送手段として建設されたのである。(p.104)
 運河の特質として、著者は4つを挙げている。バージ(barge)と呼ばれる平底の長い荷船。バージの推進力は馬。馬のために「引き道(towpath)」と呼ばれる道が運河の片側に必ずあった。水位の高低差を克服するための閘門技術。
 この記述の後、著作はイギリス国民のバカンス形態の変遷について記述しているのだけれど、チャンちゃんはイギリスが世界覇権を成し遂げた過程へと想いが至ってしまった。
 フランスのパリを流れるセーヌ川に比べて、ロンドンのテムズ川の川幅は2~3倍はある。そもそもパリは内陸にあるけれど、ロンドンは海に近い。テムズ川に接続するロンドン近郊の運河システムは、後のイギリスの海洋進出を可能にする技術を多分に含んでいただろう。イギリスに先んじて大航海時代を築いたスペインの首都マドリッドもフランスのパリ同様、内陸にあり、運河システム技術の蓄積があったとは想像できない。産業革命を成し遂げたイギリスは、帆船から蒸気船へと進化させたことでスペインの上を行ったのみならず、運河で培った閘門技術の蓄積によってパナマ運河を建設し、一挙に七つの海を実質的に手に入れたのである。
 蛇足だけれど、今日の七つの海の海底を支配しているのは、イギリスの産業革命の技術をより精緻に進化させてきた日本の潜水艦である。他国に知られることなく、世界中どこにでも航行して行ける推進技術力を持ち、「日本は、非核三原則を守る」と言っていながら、世界中どこからでも核搭載の弾道ミサイルを発射できる潜水艦(SLBM)を日本は持っている。世界の主要国は、そんなことは百も承知であるどころか、日本国内で出版されているビジネス書にすら書かれていることである。そんなことすら知らないのは、現実に“楔”を打ち込む枢要な本すら読まない御目出度い日本人だけ。日本の技術力が生み出した超ハイテク潜水艦は、「地球を蝕んできた戦争の時代を終わらせるため」の“楔”としての役割を担っている。核戦争へのエスカレーションを押し上げるためではない。

 

 

【ピラー・ボックス(pillar - box:円柱箱)】
 現実的なアメリカ人は、その目的の方を優先させて、「メイルボックス」(meilbox)と呼ぶ。(p.116)
 イギリスの真っ赤なピラー・ボックスには、上掲写真に取り込んだように、不思議な2文字が記されている。
 VRはVictoria Regina [ヴィクトリア女王]、GRはGeorgius Rex「ジョージ王」、そしてERはEduardus Rex「エドワード王」またはElizabetha Regina「エリザベス女王」を表しているのである。つまり、これらの文字は、そのピラー・ボックスがそこに設置された当時にイギリスを統治していた主権者のラテン名を記したものである。(p.114)
 へぇ~。
 チャンちゃんが統治していたら、Chanchan Rex を意味するCRになる。無断で造って、イギリスのどっかに勝手に設置したろうか。

 

 

【マーマレードでないと駄目?】
 ベーコンエッグ、あるいは私が先に述べたいろいろなメイン・コースの後に、バターとマーマレードをそえたトーストを1、2枚食べる。ジャムではない。私は念のため付け加えておくが、マーマレードでないとだめなのである。なぜかというと、イギリス人は、朝食にジャムを食べることは、正しい行儀作法にそぐわないと考えているからだ。それは、日本で「畳」の上を土足で歩くのと同じくらいたいへん無作法なことなのである。(p.133-134)
 チャンちゃんが今回宿泊したイギリスのホテルのバイキング形式の朝食には、マンゴー、イチゴ、ブルーベリー、ミックスの4種類の小分けパックのジャムがあったけれど、マーマレードは無かったよ! どういうこと? 外国人は最初から野蛮人だから、無作法で構わないってこと?

 

 

【「オックスブリッジ」と「レッドブリック」】
 新たに取得した産業の富でより多くのわけまえにあずかったバーミンガム、マンチェスター、リーズ、シェフィールドといった都市は、新しい学問の中心となる施設をつくろうと、互いに競い合った。新しい大学を持つことが、市民の誇りとさえなった。古い二つの大学のように灰色の石ではなく、真新しい赤レンガでつくられた大学である。このことから、このような地方大学を「レッドブリック」と俗称し、それに対し、古い二大学を「オックスブリッジ」というようになった。
 もちろん、今日では、ヴィクトリア朝時代に建てられたこれらの大学も、もはや新しくはない。また、大学の生みの親である都市も、初期ほど自らの大学を誇りにしてはいないと想像する。(p.165-166)
 16年ぶりにケンブリッジに行って見て驚いたのは、街の中心に3階建てのモール形式の真新しい商店街ができていたこと。キングズカレッジとそのチャペルとケム川付近は、以前と何ら変わっていなかったけれど、ケンブリッジの街の中心付近の商店街化は、古い大学街の変質を意味しているように思えて仕方がなかった。
 新興都市が大学街化を志向する一方で、古い大学街は新興都市のような商業街化して、双方ともに他方化しつつ、個性が消えて行くのである。時代の流れは、都市や街の個性を消して、全てを均質化させてしまうのだろう。

 

 

【カレッジ】
 ではイギリス人は、一体「カレッジ」という言葉を、どういう意味で使っているのだろうか。この質問に一番てっとり早く答える方法は、ラテン語の辞書で“collegium”という単語を引くことだ。私の辞書では、だいたい次のように定義されている。「公共団体、団体、委員会、裁判所、カレッジ、職人組合、都市自治体、協会、組合、同業組合」。今でも「カレッジ」という英単語には、こういった意味のほとんどが残っている。(p.174)
 中学校の英語の授業で習うのは、ユニバーシティの「総合大学」に対して、カレッジは「単科大学」だろう。一つに決め打ちして覚えるのは簡単だけれど、その場合は、後に疑問が生じやすくなってしまう。
 似たような意味の名詞としての違いもややこしいけれど、『イングリッシュ・ペイシェント』という映画のタイトルを聞いて、「イギリス人の忍耐強さ」を意味するのかと思ったら、「イギリス人の患者」に係る恋愛映画だったことが分って白けたことがある。patient に関しては受験の英語で、品詞の違う2つの意味を学んでいるはずだけれど、外国語の単語って、結構ややこしい。

 

 

【ギルバートとサリバン】
 私がギルバートとサリバンをここで紹介した唯一の理由は、読者の方々に刺激を与えることによって、読者自身がギルバートとサリバンについてできる限りの知識を、探し求めて答えを出していただきたいからである。(p.211)
 著者が言っているギルバートとサリバンとは、歌劇『ミカド』をつくった、歌詞担当のW・S・ギルバートと、メロディー担当のアーサー・サリバンのこと。第二次大戦以前のイギリス人は、ロンドンのサヴォイ劇場で初演された『ミカド』を通じて日本を想像していたのに、日本に来てみたら、日本人は『ミカド』をほとんどというより全然知らないことに、とてつもなくショックを受けたらしい。それで、この章の締めくくりが、上記書き出しのようになっている。
 チャンちゃんのみならず、今時の大抵のおっちゃん・おばちゃん世代が「ギルバートとサリバン」と聞いて思い出すのは、ギルバート・オサリバン(Gilbert O'Sullivan)の「アローン・アゲイン」だろう。『ミカド』とは何の関係もない。キャッ! 世代というより時代が全く違うんだから、どうしようもない。
 日英の比較文化をテーマに研究している人は、著者のリクエストに真剣に応ずるべき。チャンちゃんはしらない。

 

 

<了>