父の形見 | アルビノ白くまのぽかぽか日和ヾ(=^▽^=)ノ

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アルビノという個性と共に暮らしています。

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もちろん私の父ではなく、母のお父さんの形見のお話しです。

前の日記で母の実家が年末に火事で全焼したお話は書きました。

その時に奇跡的に残った、一つの木箱のお話を書きますね。。

火事で呼び出された母は警察署に行き事情聴取などを受けて、これからの手続きに土地や建物の権利書などが必要になると聞き母が「あの木箱に全部入っていたはずなんだけど…」とつぶやいた言葉を傍にいた警察官の方が聞いて「もしかして木箱なら焼け跡から、一つだけ発見されましたよ」と言って持って来たのが、母が言っていた木箱でした。

実家は床が抜け落ちる程の大火事で現場には数本の柱が焼け焦げて残っただけで、何もかも焼けてしまっていたのですが、なぜか?この木箱だけが焼け跡の中から、一部焦げただけの状態で、ほぼ無傷で奇跡的に発見されました。

その木箱の中に確かに、これから必要な書類が全て揃っていました。

この木箱は母が子ども頃からあり、母も「代々伝わってきた箱なんだろうな?」程度に思って知っていたそうです。

母が、この木箱の中身を見たのも両親が亡くなった時に必要な書類が入っていたので、その書類だけを取り出して手続きに使ったくらいです。

私は、今回、初めてこの木箱の事を知りました。

お正月に母は木箱の中の書類が濡れていたので、乾かそうと外に出して、前の日記で紹介した伊勢神宮の式年遷宮の感謝状を発見しました。

残りは、見ないで乾かしていて今朝、乾いた書類や通帳やメモ書きされたノートなどを母と見ました。

中には母が生まれた時の今で言う母子手帳や母が愛知県に出稼ぎに出ていた先の会社に祖父が送った手紙と、会社からの返事、横浜のおじさんが結婚前に相手方のご実家に祖父が送った手紙などを、丁寧にノートに書き写したもの?があったり、祖父は大工さんだったので、地元のお寺の建設に関わる資料や熊野本宮大社の絵はがきなども見つかりました。

更には祖父が書いた詩?短歌?も見つかりました。

私の中には母方の祖父の記憶は何一つありません、唯一覚えているのは祖父のお葬式だけです。

でも、木箱から出てきた沢山の書類やノートからは生前に祖父の関わるものが沢山あり、祖父が書いた文字で思いが書かれていました。

母も初めて見る祖父の文字を見て沢山の思い出話しをしてくれました。

祖父は大工さんで、今、残っているのは実家近くの数件の民家や地元の熊野神社だけだと思っていたら、木箱から出てきた資料を見ると久留里にある菩提寺の新勝寺さんの山門の建設にも携わっていたことをが分かりました。

いつも母が「大工をやっていたんだから何か一つでもいいから父に頼んで何か小さな物でもいいから作ってもらえばよかった、母が作った服は形見として持っているけど、父の作ったものが何一つないから形見が欲しかった」と、よく子供の頃から聞いていました。

そして、今回の火事で実家も全焼して無くなってしまいました。

そして、これからの手続きの為に母が広島のおじさんと、電話で相談していた時に「焼け残ったのは、昔からある、あの木箱だけになっちゃったよ」と言うとおじさんが「オヤジが作った木箱だけが残ったんだな」と言ったそうです。

母は驚いて「この木箱って父が作った木箱だったの?」と聞くと「そうだよ!オヤジが久留里の場所は忘れたけど、どこかで作って持ってきた木箱だよ」と、言ったそうで母は驚いて「形見だったんだ」と喜んだそうです。

年末の火事で、もしこの木箱まで燃えていたら権利書なども全て燃えてしまい手続きに物凄い時間がかかるそうです。

でも、奇跡的になぜか?床が抜け落ちる程の大火事で燃えるはずの、この木箱だけが焼け跡からほぼ無傷で発見されました。

私が思うのは、きっと祖父がこの木箱を守ってくれたのだと思います。

もし、木箱が残らなければ母は、土地や建物の権利書の再発行の証明の関係で、まだ火事の後手続きをしなくてはならず今、以上に大変になっていたと思います。

それを、させない為にも祖父が守ってくれたのだと思うのです。

母にとって唯一の形見になった木箱を見てそう思いました。

世の中には理屈では証明できない真実が沢山あるのです。

母方の祖父の記憶は何一つ無いけれど、温かく見守られていると感じました。