筋が通った歌い手 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

下垣真希さんは、いつもおおらか。

彼女がいると、明るい空気が充満する。

ささいなことにはこだわらない。

だが、一貫してこだわっていることがある。

叔父を長崎の原爆で亡くしたことや、東西に分断されたドイツ留学時代の体験から、命と平和の尊さを伝えるコンサートを続けて開いている。

 

東海地方を中心に活動しているソプラノ歌手の下垣真希さんは1957年、島根県生まれ。

父親が医師でへき地医療に取り組み、2歳から岐阜県下呂市に移り住み、中学まで過ごした。

自立心を育む親の教育方針のもと、高校から親元を離れ、姉と名古屋市に。その後、愛知県立芸術大を経て、ドイツのケルン国立音楽大に留学し、声楽を学んだ。

平和への思いが芽生えたのは8年半に及ぶドイツ留学時代。

その頃は、東西統一前の冷戦期。

在学中からラジオの日本語放送のパーソナリティーを務めていたドイツ国際放送で、ベルリンの壁崩壊に至る経過を刻々と伝えた経験が深く心に刻まれた。

1990年に帰国後、歌手として日本の歌の魅力を国内外に伝える音楽活動を続け、2000年にはドイツで開かれたハノーバー万博の閉会式で1万5千人の聴衆を前に滝廉太郎の「花」などを披露。活動の集大成として01年に日本の曲をCDに収録した際、「長崎の鐘」を入れた。

翌年、父親の妹である島根の叔母に、そのCDを贈ったところ、実は父親と叔母の間に長崎の原爆で被爆して17歳で亡くなった叔父がいたことを聞かされた。

被爆当時、叔父は長崎医科大の学生で、同じ島根出身の医学博士・永井隆さんの家に下宿していた。永井さんも被爆し、療養生活の中で、「長崎の鐘」などの随筆を著した。

父親や叔母にとって長年筆舌に尽くし難いほど悲しい記憶だった叔父のことを知り、以来、02年から毎年、ライフワークとして平和を願う音楽会を続けている。

 

下垣さんから聞いたビックリする話。

電車の中の高校生の会話。

A「日本とアメリカが戦争してたの知ってる?」

B「マジかよ」

これが現状なのだ。

だからこそ「歴史上の事実」を「繰り返してはならないこと」として伝え続けなければならない。

下垣さんは揺るがない。筋の通った生き方は清々しい。

 

11月8日のコンサートでは、ベルリンの壁崩壊物語と

銘打ち、下垣さん自らが構成し、台本を書いたものを上演する。

ボクは、ナレーションを担当させていただいた。

 

下垣さんには、YouTube動画「のぶチャンネル」にご登場いただく。10月3日、10日配信予定。