グレープの「朝刊」という曲が好きだった。
髙田の背番号も知らないのに巨人が負けたという。トーストを焦がしたりカラスミを煮たり、日本一ドジだけど可愛いお嫁さん。こんな人をお嫁さんにしたいと真剣に思っていた時代もあった。
「精霊流し」「無縁坂」「縁切寺」と、いささか暗めの曲が多い中で、朝陽が挿し込むような明るい曲調だった。
グレープは1972年に結成され、76年に解散。わずか4年の活動期間であった。
さだまさしさんと吉田正美(現・政美)さんの二人は、1969年、高校2年生のときに知り合った。ともに、アマチュア・バンドのリーダーだった。
さださんは、その後國學院大学に進むが、大学にはほとんど行かず数々のアルバイトをしながらバンド活動をしていたが、肝炎を患ったことをきっかけに、1972年10月初旬、長崎に帰郷し大学を中退する。吉田さんは、東京から長崎にいるさださんを追いかけるように訪ね、そのまま、さだ家に住むこととなった。
以後二人は意気投合し、デュオグループを結成することになった。
1972年11月3日のことである。
ファーストコンサート開催に際して、グループ名が必要になったため、吉さんが楽譜のトレードマークにしていた"Grape"でどうかと、さださんに提案。さださんは「ああ、そうしよう」と答え、1分でグループ名が決まったという。
1974年にリリースした「精霊流し」が累計130万の大ヒットとなり、
グレープは、一躍その名を知られることになる。
だが、1976年に解散。2人はそれぞれ別の道を歩む。
2022年11月3日、結成から満50年のタイミングで「再起動」。
解散コンサートを行った神田共立講堂で「GRAPE 50年坂一夜限りのグレープ復活コンサート」を開催した。
その後も、アルバムを出したり、コンサートをしたり、「グレープ」としての活動を続けている。吉田さんは、最近、株式会社まさしの社長に就任した。
そして、昨夜開かれた「一夜グレープナイト」を聴きに行ってきた。
会場の国際フォーラムAは、5000席満席。聴衆は、さださんたちとほぼ同世代ばかり。さださん72歳。吉田さん71歳。気のいい「おじさん」になっている。
例によって、さださんがしゃべり倒す。吉田さんが、時々入れる気の入らない「合いの手」が絶妙。
グレープの曲は、さだまさしであってさだまさしでない。
独特の香りがある。
50年のタイムラグなど一瞬にして消え、聴衆とともに「あの日あの時」に戻れ、「青春」にひたれる。
さださんが、いみじくも言った。
「過去は変えられる。思い出は進化する」
ほんとうにそうだと思う。