さだまさしさんがタキ姐さんに聴く | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

さだまさしさんが、

長年敬愛してやまない「タキ姐」、加藤タキさんと対談した。

タキさんは、社会運動家・女性初の代議士として活躍した母・加藤シヅエの娘として生まれた。

ショービジネス黎明期の1970-80年代の日本で、アーティスト・コーディネーターという職業を自ら切り拓いた。

79歳のいまも、淡々と飄々と、そして凛として生きる。

そんな彼女が伝える自由に生きるヒントが満載の本だ。

 

『関白宣言』が大ヒットしたとき、世のウーマンリブの方々が、 「この歌は、女性蔑視だ」 と騒ぎたてたことがあった。

当時、82歳だった加藤シズエさんは、自ら新聞の読者投書欄に投稿した。「騒いでいる方々よ、あなたたちは、この歌の詩を、最後まで良く読みましたか? 行間を理解しましたか? この歌は、究極のラブソングです」 と。

女性の地位向上のために活動していた加藤シヅエさんが声高に訴えたことがメディアで取り上げられ話題になった。

この一件で、加藤シヅエさんと、さだまさしさんの交流が始まった。

1983年に、さださんが長崎の詩島(うたじま)で結婚したとき、シズエさんは列席している。シズエさん米寿の誕生会に、さださんはギター1本持って加藤家を訪れ、リビングルームで歌った。

母との交流の中で、タキさんとも親しくなった。

 

タキさんは、いつも前を向いている。

後ろを向くのは、自分を省みるときだけ。

「自分を省みない人は美しくない」と母が言っていた。

「鏡を見るときは心と対話しなさい」とも。

自分が間違っていないか、常に省みるようにしている。

でも、間違っているかもしれないけど、やってみよう!精神もある。

 

「梅花、春に魁(さきがけ)て咲く」は、父が母を励ますために送ったことばだが、終生、母シズエさんは座右の銘にしていた。

どんなに辛くとも、梅の木の様に凛としていれば、必ず蕾はほころび、春の訪れが近い事を知らせてくれる。そう思えば希望が湧く。

母は珠玉のことばをタキさんに贈ってくれた。

「喜怒哀楽すべてが感動」1日10回は感動しよう!

「日常のささやかな営みの中に、心に染み入る感動がある」

「いつでも、あなた自身でありなさい」

42歳で高齢出産した娘に対して、労いの言葉より先に「あなたの子どもが挫折することを恐れてはならない」と伝えた。

「どんなことで喜ぶかどんなことで悔しそうにするか、見抜いて好きなところを伸ばしてあげなさい」

常に身を律して、人のことを慮って生きてきた母らしい毅然とした言葉だ。タキさんは、母のようにありたい、母のように生きたいと思う。

毎日、タキさんは、両親の遺影に「おはよう。きょうも一日有難う。見守っててね」とあいさつして出かけるようにしている。