夢は、スティビー・ワンダーとの共演だ。
彼の歌を「目が見えない歌手」と思って聞く人はいないだろう。
だから自分も「全盲」のシンガーソングライターとクレジットなしで紹介されるようになりたいと話す。
佐藤ひらりさん。武蔵野音楽大学をこの春卒業して、社会に出た。
初対面の時は、15歳。まだ中学生だった。いま23歳。
超ミニスカートに赤い靴を履いて現れた。
コロナウイルスの影響で、高校の卒業式も、大学の入学式もなく、最初は全てがオンライン授業で、友達との出会いはとても少なかった。
3年間くらい、実技以外のほとんどの座学系の授業が、オンラインだったおかげで、学校に通いながら、平日も他の学校での講演など、パラリンピックの後、たくさんの活動をすることができた。
そだ。2021年の東京パラリンピック開会式で、彼女が「君が代」を歌う姿を見て、涙が出るのを禁じ得なかったことを思い出す。完全親目線で見ていた。
大学では、楽譜を書いたり、読んで歌ったりする、ソルフェージュという授業があったり、音楽の歴史や拝啓、楽器について、民族音楽についてなど、たくさんのことが学べた。
メインの作曲コースでは、一年に2回の試験のために曲を作ったり、打ち込みで曲を作る方法や、たくさんのコードを学ぶことができ、作曲の幅が広がった。
作曲の卒業試験の中で、作った曲を公開演奏する場があり、その時に、私が小学四年生の時に作った、「みらい」という曲を、合唱曲として編曲して、同級生や後輩の皆さんと一緒に、校内のホールで演奏したことが、大学4年間で一番印象に残る出来事だ。
東日本大震災のメッセージソングとして作った「みらい」が、合唱として、みんなで歌える曲になって、とても嬉しかったそうだ。
今年3月にはイタリアに渡った。
ロッシーニ歌劇場のオーケストラの皆さんと、マエストロと一緒に、「アメイジング・グレイス」を歌うことが出来た。
バチカンの聖パウロ大聖堂でも「アメイジンググレイス」を熱唱した。
音の響く大聖堂で、能登の震災や、平和への思いを込めて歌った。
これから、「恩返し」のために歌いたいという。
「目が見えないことで私を知ってくれた方々に恩返しがしたい。その上で、目が見えないという看板を下ろして、障害のあるなし関係なく、感動してもらえる歌手を目指したい」
「子どもから大人まで口ずさんでもらえる歌を作り、音楽で多くの人を笑顔にしたい」にしたいと笑声で語る。
ちなみに、ひらりさんは、声を聞いたら、人柄がわかるという。
「村上さんは、口角が上がっていて、声に芯がある」と褒めてくれた。
佐藤ひらりさんへのインタビューは、
文化放送「日曜はがんばらない」で、
6月9日6:20~。
お母さんの絵美さんと。