小津安二郎の代表作といえば「東京物語」につきるだろう。
「東京物語」の公開は1953年。ボクの生まれた年だ。
小津がサイレント期から描き続けてきた親子関係のテーマの集大成ともいえる作品だ。
地方から老いた夫婦が上京し、成人した子どもたちの家を訪ねる。
子どもたちははじめは歓迎するが、やがて熱海に行かせたりして厄介ばらいする。戦死した息子のアパート住まいの未亡人だけが親身になって面倒をみてくれるという皮肉。
やがて老夫婦は田舎に帰るが、その直後、妻は急死してしまう。
一人残された老人は、静かに海を見つめる…。
「戦後の日本における家族生活の崩壊を描いた」と監督本人が語るこの作品は、人間の孤独感、死生観といったテーマまでをも取り込み、味わい深い作品となった。
志賀直哉を深く愛した小津監督は、『暗夜行路』にちなんで尾道市をラストの舞台に選んだが、その尾道の寂れて、どこか温かい風景が、この厳しいテーマを繊細に包み込み、忘れることのできない画面を生み出した。
淡々とした日々を描きながら、人間の性が滲み出る。
キャストは、
尾道に暮らす父・周吉~笠智衆
その妻・とみ~東山千栄子
戦死した次男の妻の紀子~原節子
小学校教師をしている次女の京子~香川京子
東京の下町で小さな医院を開業している長男の幸一~山村聡
やはり下町で美容院を営む長女の志げ~杉村春子、その夫~中村伸郎
尾道で親しくしていた周吉の友人の服部~十朱久雄
やはり尾道で親しかった友人の沼田~東野英治
豪華な顔ぶれだ。
それにしても、原節子の気品は素晴らしい。
終始、感情を抑えての笑顔が、切なさを醸し出す。
「伺いたいですわ」「どうしてなんですの?」こんな言葉遣いをする女性が現代にいるだろうか…。
(ここからは、朝日新聞(2023.12.17付記事参照)
親子とはいえ、すでにそれぞれの事情を抱え、異なる人生の線路を走る他人同士になっていた。悲哀も漂う映画に、機嫌の良い朗らかな音楽が抑えた音量で流れ続ける。
作曲したのは斎藤高順(たかのぶ)。
東京音楽学校(現東京芸大)を卒業し、放送現場で活躍し始めたばかりの無名の新人だった。
斎藤に対して小津の要求は「映像からはみださないこと」。の一点だけ。悲しい日にもいつもと変わらず降り注ぐ光のように、機嫌の良い音楽を添えた。ユーモアを誇張せず、涙をあおらず、観客が感傷や共感へと流されることを、小津は慎重に避けた。
妻が逝った日の朝。笠智衆演じる父親は一人で海を見ている。
そして追ってきた義理の娘(原節子)に笑顔でこう語りかける。
「きれいな夜明けじゃった。今日も暑うなるぞ」
己の悲しみから距離をとることのできる人は、離れた場所で悲しむ人々の心を思うことができる。
東京物語』における斎藤の音楽は、この時の笠のアルカイックスマイルをそのまま音楽にしたかのようだ。
若き斎藤には、すでに自立した音楽を書く態度があった。
そして小津の美学に職人として献身した。
小津の映像、笠の演技、斎藤の音楽。
いずれも「平凡」を装う「非凡」である。
それらの奇跡の邂逅を得て、「東京物語」は世界へ開かれた。
晩年の小津に「譜面を残しておくように。いつか価値が出る」と言われたと、斎藤はのちに述懐する。
撮影中の原節子と小津安二郎監督(尾道浄土寺、1953年8月16日)