阪口明美さんは、山仕事がしたくて丹波市に移住してきた。
間伐材を薪にして販売するなど、森林資源を循環させる「丹波市木の駅プロジェクト」の運営に奔走している。木の伐採から薪を売るまで一連の流れ全てに関わる。薪ストーブ利用者に“燃料”を配達する、忙しいシーズンだ。
大阪・豊中出身。
姉がいて兄がいて、一番下の末っ子だった。
10代からずっと何か違和感を感じてきました。
自分らしくいることができない違和感。
ずっと、周りに合わせなければならない気がしていた。
人と会う度に仮面をつけていた。
無理することも苦しいことも日常になってました。
心に壁を作り、誰と話していても実際は会っていない感じがしていたという。
家族とも、うまくコミュニケーションを取ることができず、
20歳で実家を出た。
知らない世界へ飛び込んでみたくなり、22歳でワーキングホリデーでオーストラリアに行く。免税店でバイトしながら生活した。帰国前にはバックパッカーでオーストラリア大陸をひとりで3ヶ月かけて一周旅した。以来、バックパッカー一人旅が趣味となった。
帰国後、服飾関係の仕事をしたが、一回目の結婚と離婚。
それが原因で、うつ病を発症。
30代で旅行会社へ転職し、内勤業務につく。
婚約した人のベトナム赴任に同行し、半年間をベトナムで過ごす。
帰国後は三重県で専業主婦として過ごしていたが、結婚まで至らず、ひとりで大阪に引っ越した。
精神面を心配した知人が山に連れて行ってくれたことがきっかけで、山歩きに目覚める。人が苦手で恐怖心まで抱いていた阪口さんにとって、山はとても癒しになった。
自分自身を取り戻し始めた時に、今まで助けてくれた山の悩みを、今度は自分が聞いてあげたいという思いが湧いてきた。
山でのボランティアを探していた時にみつけたのが、NPO法人 日本森林ボランティア協会が開催していた森林大学だった。
森林大学とは、継続性のある市民参加の森づくり運動を行うためのボランティアリーダーを育てる講座。森林、林業、野外活動、安全対策、環境教育などを学ぶことができる。
森林大学の先生が丹波に住んでいる人で、授業中に丹波の資料をもらい、丹波に行くのもいいと思った。
2018年末に、丹波市に移り住んだ。
地域おこし協力隊の仕事が決まり、森林整備を手掛けた。
山から切り出した木を、買い取って薪にし、販売するプロジェクトの推進役になった。
阪口さんに、大きな転機が訪れた。それは7歳上の姉の死だった。
最後を見とったのは阪口さんだった。
今わの際にいたのが、姉の夫でもなく、ずっと世話をしていた母でもなく、妹の阪口さんだったのは、姉が、今のままの自分ではダメだと思わせるきっかけをくれたのではと思えた。
姉が亡くなるまでずっと手を握っていた。姉の死に直面したことで、ちゃんと生きようと思い直すことができたという。
徐々に一枚ずつ仮面を脱ぎ去り、自分に戻っていく感覚を得ることができ、20年間持ち合わせた違和感を手放していくことができた。
永住したいと思うほど丹波は居心地がいい。
都会にいた時とは全く違う生活。
昔の阪口さんでは考えられないほど、人付き合いが今は心地よく、もっと地域の人と関わっていきたいという。
阪口明美さん出演の「たんば女性STORY」は
来年1月3日、10日20:00~、
その週の土日10:00~、FM805で放送予定。
サイマルラジオなら、日本中で聴ける。
鎌倉FMでも毎週木曜13:30~放送。