20年前の花緑さん | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

柳家花緑さんを、大人の寺子屋にお招きするにあたって、

書棚から本を取り出し読んでみた。

そこには、『僕が、落語を変える』というタイトル通りの意気込みを見せる若き花緑がいた。当時30歳。

 

祖父は、五代目柳家小さん。

同じ家に住む祖父は師匠でもあった。 

1987年、中学卒業と同時に小さんに入門した。

1989年、二つ目になった頃、師匠の芸と自分の芸を比べて自虐的になった。人間国宝の孫というプレッシャーは、想像を絶するものがあった。出刃包丁を喉元に突き付けたこともあったが、師匠の泣く顔が浮かびとどまった。

1994年、22歳。戦後最年少で真打に昇進した。花緑という名は師匠が命名した。昇進披露パーティーで「七光りでなく十四光」という祖父の言葉を聞いて、吹っ切れた。十四光も浴びているなら、それを武器にしたらいいと。

祖父が亡くなって20年。

「これでいいと思ったら芸人はおしまい」

「小馴れて喋るな」「いつも初めて喋る気持ちで」

「弟子を持って一人前」

いまも、師匠の言葉が蘇る。

 

祖父が人の悪口を言っているのを聞いたことがない。

悪く言われていることもなかった。

花緑さんは、自分もかくありたいと思う。

そして、人に喜ばれる存在でありたいと思う。

20年経って、尖った部分が消え、丸くなってきた。

古典を磨きながら、新たな取り組みもして、落語界に新風を送ってきた。この20年で花緑さんがどう変化し、祖父から何を受け継ごうとしているのか、明日の「次世代継承塾」が楽しみだ。