西陣織の老舗「細尾」は、元禄元年(1688)年創業。
会長の細尾真生(まさお)さんは、事業承継のことなど、
まったく頭になかった。
同志社大学卒業後は、伊藤忠商事に入り商社マンとなった。
イタリア・ミラノに4年駐在したとき、西陣織を世界に発信したいと思った。父が病気に倒れ、「細尾」に引き戻された。
そこで、海外進出を力説したが、「ボン、なにアホなこと言うてますのや」と相手にしてもらえなかった。まだ右肩上がりの時代だった。
だが、1982年をピークとして、3兆円市場は2800億円に落ち込んだ。そこで、ようやく事業見直しとして、海外進出案が日の目を見た。
ミラノにいた頃の人脈を生かし、クリスチャンディオール、ルイヴィトン、シャネル、エルメスなどの海外高級ブランドと提携した。内装、クッションやカーテンなどインテリア素材などに西陣織は好評を博した。
「織物のフェラーリ」を目指す戦略が当たった。
だが、不易流行、温故知新、守破離の精神は忘れなかった。
既成概念にとらわれない新機軸を打ち出す一方で、
古代染色の研究をして、装束の復元を始めた。
先人の技法を確かめ、未来に生かしたいと思ってのことだ。
細尾さんは、経済効率と闘いながら、
日本文化の根本を学び直してきた。
そして、平安時代に日本人の美意識の原点があると確信した。
手間をかけることで精神性が生まれると確信した。
小薬は、飲み薬や貼り薬。中薬は鍼灸。
大薬は、身に纏うもの。草木には薬効効果がある。
紅花で染めた赤の腰巻には保温効果、
殿様の頭に巻かれた紫の鉢巻きは、頭痛止めになった。
服用、服薬という。服は「着る薬」だった。
細尾さんは、いかにも楽し気に語る。
日本文化の伝承をすることを生き甲斐にしているからだろう。
昭和28年生まれの同級生の細尾さんに、親近感を抱いた。
(中央・島田史子さん、右手が細尾真生さん)
(平安時代の「小袿(こうちき)」復元。
宮廷に仕える高い位の女官の衣装)
(平安時代、寝殿造りの間仕切り「几帳」復元)
(日本ムラサキで染めた帯の復元。図柄は松喰鶴)
(辻が花復元)
(日本ムラサキで染めた紐を編み込んだ兜)