柳生博さん、八ケ岳の森で永眠 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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柳生博さんが、山梨・北杜市の自宅で亡くなった。享年85。

オーナーを務める「八ヶ岳倶楽部」のフェイスブックで、次男の柳生宗助さんが、きょう、報告した。

宗助さんは「悲しいお知らせをしなくてはいけません。僕の父であり、八ヶ岳倶楽部オーナーであり、日本野鳥の会名誉会長であり、俳優である、柳生博が4月16日に永眠しました。85歳、老衰でした。病院には入院せず、大好きな八ヶ岳の森に囲まれ、家族と倶楽部スタッフ、そして在宅医療の皆さまに見守られて、穏やかな最期でした。皆様には生前、本当にお世話になり、また大変親しくして頂き、誠にありがとうございました。心から感謝申し上げます」と報告した。

 

柳生博さんは、1937年(昭和12年)茨城県阿見町生まれ。

柳生新陰流で知られる柳生一族の末裔にあたる家系に誕生。

柳生家には「男子は12歳になったら一人旅をさせる」というしきたりがある。柳生さんは、中学生の頃、一人旅で、八ケ岳山麓を旅している。このときの経験が、のち八ヶ岳倶楽部を設ける原体験となった。
茨城県立土浦第一高等学校卒業後、東京商船大学(後の東京海洋大学)に入学したが、視力の低下で中退し船長への夢を断念した。

一転、役者を志して劇団俳優座の養成所へ入った。

1977年、NHKの朝ドラ「いちばん星」の野口雨情役で知られるようになった。

俳優や司会として活躍する傍ら、山梨県八ヶ岳南麓に住処を求め、

周囲の荒れた人工林を、本来の姿に近い雑木林に復元した。

30年あまりをかけて育て上げられた雑木林は、現在、多くの人が訪れるパブリックスペースとして公開され、アトリエとカフェを併設する「八ヶ岳倶楽部」を家族で営んでいる。日本野鳥の会会長を15年に渡り務めた。

 

ラジオ中継で「八ヶ岳倶楽部」におじゃましたことがある。

ビールを何度も勧められた。柳生さんが、いかにも美味そうに、何杯も呑んでいた姿が目に焼き付いている。

雑木林の中を歩きながら、「ほら、耳を澄ませてごらん。風の音が聞こえるでしょ」と、微笑みを絶やすことなく語る声が耳に残っている。

大好きな八ケ岳の森の中の風に包まれて、生涯をまっとうしたことは本望だったことだろう。

今ごろ、7年前に亡くなった長男の真吾さんと、ビールを飲みながら、

語り合っているかもしれない。