40年ぶりの再会だった。
富山県利賀村の村起こしに寄与してきた中谷信一さん。
富山市内から、曲がりくねった1本道を車で2時間近く走ると、
標高1000mを越える山々に囲まれた利賀村に入る。
人口500人ほどの小さな村だ。
利賀川と百瀬川の二つの清流が流れる村内には、豊かな自然が多く残されている。
炭焼きの年寄り三人衆、ワサビつ作りの青年、郷土玩具作りの中谷親子を訪ね、富山時代、何度も利賀村に足を運んだものだ。
中谷信一さんは、村役場職員として、1982年、世界演劇祭『利賀フェスティバル第1回世界演劇祭in富山』の担当をした。
世界各国の演劇人が利賀村に集い、利賀村から一流の演劇が世界に発信された。国の内外からあわせて1万3000 人もの観光客が訪れ、利賀村にとって空前のイベントとなった。それをきっかけに、小さな山村から世界に通じるものを作ることができることを確信した。
「世界は日本だけでない。日本は東京だけでない。この利賀村では世界に出会う」が当時のスローガン。
豪雪に覆われる冬にも何かできないかと考え始めた。
中谷さんは、村の集落で行われていた「ごんべ」と呼ばれるそば会に着目した。出稼ぎから帰ってきた人や遠来の客をもてなすために、そばを打ち、山菜を並べる、村民の心づくしの宴である。
集落によっては有志による雪祭りを同時開催していたところもあった。中谷さんは、これらを一つに結集し、そばも雪も大いに楽しめるようにスケールアップした「利賀そば祭り」を考案した。
利賀そば祭りは、1985年、第1回の祭りには5,000人の観光客を集めた。1992年には、31日間に渡って、世界そば博覧会を開催した。
全国麺類文化地域間交流推進協議会を設立。素人そば打ち段位認定制度を独自に創設し、1200人を超えるそば打ち段位取得者を抱えている。
その後、都市と農村との交流にも取り組み、そばの原産地であるネパール王国ツクチェ村との交 流を通じて、「そば」を独創的な観光資源にした。
その後、中谷さんはネパール王国・ツクチェ村を訪れること十数回に及び、様々な交流を深めていった。ツクチェ村は曼荼羅を配した寺院があるチベット仏教の信仰の深い村だ。
その曼荼羅の美しさに惹かれた中谷さんは、曼荼羅を展示した施設を山村につくることを計画し、都市住民が心身リフレッシュできるための『瞑想の郷』づくりを企画した。
曼荼羅はツクチェ村出身の絵師を招いて描いてもらうこととなり、1年かけて、4メートル四方の大曼陀羅が出来あがった。
『瞑想の郷』は平成3年にオープン。ネパール文化の発信施設として年間1万人を超える観光客が訪れ、村の観光施設の顔となっている。
中谷さんは、若い頃から林業を営む父の影響を受けて、木を使った工作、からくりに興味を持ち始め、自宅そばに「キツツキ工房」を設立し、20代半ばにからくり仕掛けの木挽人形などを制作、発表している。
作品の郷土玩具は、木のやさしさ、手づくりのぬくもりを感じる。
また、郷土玩具制作のかたわら、全国から木の玩具を収集し、自宅の一部を改造して開設した「郷土玩具美術館」に展示するようにした。
ここも村の観光名所になった。
ボクが、最初に会った頃は、郷土玩具作りの中谷さんだった。
それが、あれよあれよというまに、利賀村のキーパーソンになっていった。なんだか遠い存在になってしまったような気さえしていた。
でも、会った瞬間、40年前に時計の針が逆戻りしたかのよう。旧交を温めるという言葉通りの再会となった。互いに「力強いねー」と言いながら、固い握手を何度も交わし合った。
(中谷さん作の郷土玩具)