名優、宝田明さんが亡くなった。享年87。

1954年、映画「ゴジラ」に主演してスターの地位を築き、黄金期の東宝を代表する二枚目として「青い山脈」「100発100中」「香港の夜」など様々なジャンルの映画に出演した。

1964年に舞台「アニーよ銃をとれ」で芸術祭奨励賞。「マイ・フェア・レディ」などミュージカルでも活躍した。製作・演出・主演を務めた2012年の「ファンタスティックス」で文化庁芸術祭大賞を受けた。

 

ボクは、生前お会いすることはなかったが、宝田さんの「戦争反対」への想いを切実に受け止めていた。

ふだんは、明朗快活。明るく楽しい人だった。

しかし、戦争の話となると、全く別の顔を見せた。

11歳の時、終戦を旧満州で迎えた。

侵攻してきたソ連軍に銃撃され、麻酔なしで弾丸を摘出した。

そして20歳の時、核実験の犠牲者といえるゴジラによって、俳優として世に認められた。反戦反核への思いは人一倍強い。

だが、長い間その思いは口にすることはなかったが、還暦を過ぎてから意識して発言するようになった。

「俳優は社会的発言をしてはいけないと言われていたから、自分を殺して生きてきました」と語っていた。

中国からの引き揚げ時に見た光景を中心に、半生を「宝田明物語」という朗読劇に仕立てて各地で公演した。戦争に対する怒りがあふれ出ていた。講演やシンポジウムを頼まれれば、積極的に足を運んだ。

 

自らエグゼクティブプロデューサーを務めた映画『世の中にたえて桜のなかりせば』の念願企画だった。(4月1日公開予定)

終活アドバイザーを演じているが、映画の終盤は、彼が引き揚げ者として苦労した話になる。ここでも自分の体験を主人公に託して思い切り語っていた。

亡くなる4日前に朝日新聞のインタビューに応じた時、ロシアのウクライナ侵攻を強く憂えていた。

「僕たちは終戦後にソ連兵の襲撃を受けました。また同じことが繰り返されています。ウクライナでいま悲惨な目に遭っている少年は77年前の僕です」

(朝日新聞3月19日付け参照)

 

(『世の中にたえて桜のなかりせば』で共演した岩本蓮加さんと)