川上徹也さんの本で「一言主神社」の存在を知った。
善いことも悪いことも一言で言い放つ神様。
一言の願いであれば聞き届けてもらえる神様。
地元では「いちごんさん」と親しまれている。
當麻寺から車で15分くらいのところにあるので行ってきた。
『古事記』の記述から。
また一
時、天皇葛城山に登り幸
でます時に、百宮
の人ども、悉に紅き紐著けたる青摺の衣を給はりて服たり。
その時にその向ひの山の尾より(尾根づたいに)、山の上に登る人あり。既に天皇の鹵簿に等しく、またその束装の状、また人衆も、相似て傾かず。
ここに天皇望けたまひて、問はしめたまはく、「この倭の国に、吾を除きてまた王は無きを。今誰人かかくて行く」と問はしめたまひしかば、すなはち答へまをせる状も、天皇の命の如くなりき。ここに天皇いたく忿りて、矢刺したまひ、百官の人どもも、悉に矢刺しければ、ここにその人どももみな矢刺せり。
かれ天皇また問ひたまはく、「その名を告らさね。ここに各名を告りて、矢弾たむ」とのりたまふ。ここに答へてのりたまはく、「吾まづ問はえたれば、吾まづ名告りせむ。吾は悪事も一言、善事も一言、言離の神、葛城一言主の大神なり」とのりたまひき。
天皇ここに惶畏みて白したまはく、「恐し、我が大神、現しおみまさむとは、覚らざりき」と白して、大御刀また弓矢を始めて、百官の人どもの服せる衣服を脱かしてめて、拝み献りき。
ここにその一言主の大神、手打ちてその奉物を受けたまひき。かれ天皇の還り幸でます時、その大神、山の末に満みて、長谷の山口に送りまつりき。かれこの一言主の大神は、その時に顕れたまへるなり
このように、一言主大神は天皇と同じ姿で葛城山に現れ、雄略天皇はそれが大神であることを知り、大御刀・弓矢・百官どもの衣服を奉献したと伝えられている。天皇はこの一言主大神を深く崇敬された。
一言主大神は自ら「吾は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言離(ことさか)の神、葛城一言主の大神なり」と、神力を示された。
一言主神社に詣で、ボクも「一言」で今年の想いを伝えてきた。