神田伯山の鬼気 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

ようやく、やっと、ついに神田伯山の講談をナマで聴くことが出来た。

満座の観客の心を鷲掴みにする。鬼気迫る講釈に、会場は息を飲むのも憚るように、じっと聴き入る。

その声音の強弱、緩急、間合い、どれをとっても非の打ち所がない。

 

六代目神田伯山襲名披露公演。コロナ禍で延び延びになり、今年全国巡業が行われている。

彼のこの日の演目は『中村仲蔵』。

歌舞伎役者の立志伝。

初代中村仲蔵は実在の人物。名門の出ではないが演技や器量に優れ、努力の末に最高位の「名題」にまで出世する。

四代目団十郎が仲蔵に目をかけたことから、座付きの作者から憎まれ、『仮名手本忠臣蔵』で振られたのは斧定九郎という山賊のような恰好をした役であった。拵えや着付けが悪く、注目されるような役ではなかった。

「判官切腹」大きな見せ場のある四段目は「出物止め」と呼ばれ、客席へ料理を運ぶのが許されなかった。それに比べて五段目は「弁当幕」といわれ、多くの客は客席で食事をする時間だった。

その五段目で斧定九郎一役しか与えられないのだ。

仲蔵は、客をあっといわせるような、これまでになかった定九郎を演じてやろうと考える。

にわか雨になり蕎麦屋に駆け込んだとき、仲蔵は、二十八,九歳の武士を見かける。色白で痩せ型の男。伸びた月代(さかやき)からはしずくが垂れる。服は黒羽二重で尻をはしょる。朱鞘の大小に茶博多の帯。その帯には草履を挟んでいる。男は、破れた蛇の目の傘を半開きにして入って来た。傘をすぼみさっと水を切ってニヤリと笑ったが、その姿がなんともいい色気がある。この格好ならいい定九郎が出来るに違いない、仲蔵は思いつく。
初日、五段目の幕が開く。しばらくして花道を半開きにした傘を手にした仲蔵演じる定九郎が現われる。今までの定九郎とのあまりの違いに客席はシーンと静まり返る。仲蔵は、これはやり損なったかと勘違いする。幕がしまって客はどよめきの声をあげる。

江戸を離れるしかないと思い詰めていたところ、芝居を観て感動した男の話が耳に入る。「いい定九郎を見せてくれたなぁ。誰も見たことのない工夫があった」。これを聞いた仲蔵は、涙を流して喜ぶ。
この後、仲蔵の名声はますます高まる。中村座の座頭に出世し、寛政2年に57歳で亡くなる。稀代の名優として今に名を残す。

 

なんだか、仲蔵が伯山に重なって見えてきた。仲蔵が伯山に乗り移ったかのよう。伯山が仲蔵に乗り移ったかのよう。

伯山さんの迫力に、参った。魂を奪われたようだ。

百年に一度の逸材と言われるゆえんが、よくわかった。

ゲストの桂文珍さんが講釈師のことを「舌耕」と表現していた。

まさに舌を磨き、舌を鍛え、芸を磨いてきた伯山、この先に途方もない未来が約束されていることは間違いないだろう。

 

(口上五人衆 手前から神田阿久里、宝井琴調、

神田伯山、神田松鯉、桂文珍)