いまに繋がる渋沢栄一 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

銀座・和光で開かれている「渋沢栄一展」に行ってきた。

遺品や資料の展示だけという従来型ではなく、

渋沢の興した事業が、今日にどう繋がっているかを見せる

興味深い展示会だった。

 

渋沢が創業した企業の一つに日本初の製帽会社「東京帽子株式会社(旧:日本製帽会社)」がある。

そのブランドである<トーキョーハット>は、渋沢が愛した山高帽(ボーラーハット)をはじめ、今もなお渋沢の想いを受け継ぎ、豊富なバリエーションの帽子が作り続けられている。
 今から150年ほど前、幕府の随行員として欧州を歴訪していた渋沢栄一は、武士の誇りである髷を落とし、西洋の帽子をかぶり、日本の近代化に奔走した。

紳士のシンボルである帽子の価値を見出し、日本初の製帽会社を創業した。日本の帽子文化が始まり、渋沢栄一は生涯にわたりこのポーラーハットを愛用した。

会場で、数万通りのパターンからフォルムや素材、色を選べるカスタムオーダーが出来るようになっていた。

 

渋沢が興した日本初の洋紙会社「抄紙会社(現 王子ホールディングス株式会社)」は、今も製紙業の中心を担う。

紙を発展させた天然和紙糸繊維<かみのいと OJO+(オージョ)>は、軽く、夏は涼しく冬は暖かい。まさに今の時代に適した素材だ。

渋沢をルーツに持つ王子製紙から誕生した王子ファイバーは、優れた特性を持ちながら、量産が難しく、高価であった和紙の糸に着目。

紙に携わってきたノウハウをもとに最先端の設備と新技術により、独自の生産体制を確立。環境と肌への優しさはそのままに最高の品質で作り上げた「かみのいと OJO+(オージョ)」を生み出した。

こよりを作る要領で、紙を糸にして織り上げた「和紙布」を素材にして作られた靴の販売も行われていた。

通気性、放湿性、消臭機能、軽さ…これまでの靴の常識を変える商品だ。紙の靴には、渋沢も目を丸くすることだろう。

 

「渋沢栄一展~渋沢栄一の遺したもの、その発展~」は、

銀座・和光で、22日(日)まで開催されている。

 

(藍色で統一された展示会場)

(渋沢が書き写した論語。達筆だ)

(妻の千代が、洋装姿の夫に「あさましいからやめるよう」に伝えた手紙が展示されていた)