花のニッパチ麒麟児、逝く | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

いまでも、しっかり覚えている。

柏第二中学校の校庭の水飲み場のあたりで、

大相撲の世界に入ることになった垂沢和春さんの旅立ちを祝った。

その後の麒麟児は、同じ中学の同窓生。

学年は1年上だが、昭和28年、花のニッパチ同士だ。

彼が土俵に上がるたび、声援を送り続けた。

同い年が頑張る姿に、勇気をもらったものだ。

その彼が、3月1日に亡くなっていたことが、このほどわかった。

 

1967年夏場所で二所ノ関部屋から初土俵を踏んだ。

「花のニッパチ組」の1人として、

元横綱北の湖、元横綱二代目若乃花とともに人気を誇った。

1975年夏場所8日目の天覧相撲では、

富士桜との合計108発に及ぶ壮絶な突っ張り合いを披露。

昭和天皇が身を乗り出して観戦された一番は、語り草となっている。

幕内優勝こそ果たせなかったが、強烈な突っ張りを武器に、金星6個、三賞受賞は11度と実績を残した。

幕内通算84場所で三役は通算17場所。

1988年秋場所を最後に、35歳で現役を引退。

その後、北陣親方として後進を指導した。

NHK大相撲中継では爽やかな語り口の解説で親しまれた。

NHKのスタジオでお目にかかったとき、「ボクも柏二中です」と言うと、

目を輝かせて笑顔を見せてくれた。その笑顔が蘇る。

土俵での闘志溢れる表情、土俵を離れたときの人懐こい笑顔を、

ずっと忘れずにいたい。

 

(富士桜との天覧相撲での猛烈な突っ張り合い)