発達障害という止まり木 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

落語家の柳家花緑さんは、

教科書は読めなかったけど、落語家をしている。

字が読めないから勉強についていけず、注意力散漫で、授業中に気を散らす問題児だった。先生からはいつも叱られ、自己嫌悪に陥っていた。小学校時代のあだ名は「ばかな小林くん」だった。

識字障害、多動性障害があるとわかったのは、6年前のこと。

理由がわかり、霧が晴れたような気持ちだったという。

あちこち飛び回っていた鳥が「止まり木」を得た思いだった。

 

花緑さんは、書かれた文字を脳が認識し、言葉として理解するのに、

すごく時間がかかる。文字が並んでいるのを見るだけで魔法の呪文のようらしい。

「たしなみ」が「たのしみ」に見える。

「田町」に行くつもりが「町田」に行ってしまった。

下血して医者に行き、問診票に「痔」とかけず「侍」と書いた。

古典落語の「芝浜」を演じたあと、色紙を頼まれ「浜松」と書いた。

そんな混同、錯覚は数知れない。

ただ、本の中で花緑さんと対談した専門家も、疾患ではなく「個性」と言っている。障害ではなく「特性」なのだ。多様性を「ふつう」と認める社会になればいい。出来ないことを責めずに、出来ることを褒めたら、「個性」は伸びる。

 

花緑さんは、障害にまるで気づいていなかった母に救われた。

「おちこぼれ」であることに無関心でいてくれ、「大丈夫!大丈夫!」と励まし、落語の才を見抜き「一流になれる」とおまじないをかけてくれた。

その落語にも救われた。うまくやれない落語の主人公たちの居場所がある。ちょっぴりドジで駄目な人間も受け入れてくれる。落語には、懐の深さ、温かさがある。

 

花緑さんは思う。

「がんばるのは、まだないものを目指す行為。感謝は、いまあるものを見る行為」。

「今に感謝し、有難いと思い、大変なことがあっても笑いを忘れずにいたい」。