誰にも忘れられない記念日がある。
ボクにとって、昭和52年6月20日がそれである。
つまり43年前のきょうのことだ。
新人アナウンサーとして、富山に着任した日だ。
この日、おそらく午前9時くらいの新幹線で、
東京駅を出発した。
駅には、研修で世話になった井川良久アナウンサーをはじめ、
研修所の先生方が見送りにきてくださった。
当時、新人アナウンサーが赴任先に旅立つときの見送りは慣例になっていた。
そして、名古屋で途中下車し、名古屋放送局に挨拶に立ち寄った。
東海北陸7局を管轄する重要拠点だ。
ド緊張の面持ちで挨拶し、昼食は中華料理をご馳走になった記憶がある。緊張しているくせに、料理のことやその場に居合わせた人の顔は覚えている。
名古屋から、特急しらさぎに揺られて4時間。夕方6時近かったと思う。
富山駅に着いた。駅には、風見雅章アナウンサーと高橋敦之アナウンサーが出迎えてくださった。新人の出迎えも慣例だった。その時の光景もよく覚えている。
局で一通りの挨拶をしたあと、繁華街の桜木町の居酒屋で歓迎の宴を開いてもらった。甘えびの食べ方を教わったことも記憶している。
その後、昭和57年8月20日に、富山を離れるまでの5年2ケ月を過ごすことになる記念すべき富山に初めて着いた日のことは、忘れることが出来ない。
実は、きょうは、その記念日を富山で噛みしめるはずだった。諸般の事情でそれが叶わなくなり、せめてブログで「その日」に想いを馳せることにした。
(当時の富山駅)
(NHK富山放送局の建物は当時のまま)