誰にも青い時代がある。
ムラカミの青い頃の新聞記事が出てきた。
新人アナウンサーの富山時代、
物珍しさも手伝い、地元紙の取材を受けていた。
久しぶりに発掘した記事を読むと、気恥ずかしい。
ずいぶんと気負ったことを言っている。
富山の人に対して失礼なことを言っている。
「道を歩いていても、富山の人はうつむきかげんの人が多いように思う。笑っている人もあまり見かけない。気候のなせるわざと人は言うが、それで片付けてしまうのは、いかにも短絡だ」
なんと思い込みの激しいことか!青き自分を叱りたくなる。
「どうして、嬉しいときは思い切り笑い、悲しい時は思い切り泣くことが出来ないのだろう。感情を押し殺し、付和雷同で、小さな自分だけの世界に生きているーそんな感じがする。怒りや疑問が、時としては社会に貢献する大きなエネルギーとなることは歴史が証明しているではないか」
おい、おい、ムラカミくんなあ、上から目線で何を言ってるんだと、ツッコミ入れたくなる。いくら若者に物申す『いいたい放談』という枠とはいえ、言い過ぎではないか。
「晴れの日もあれば、雨の日もあるのは事実だ。しかし、雨のあとには、必ず太陽が顔を出す。まず青空に向かって思い切り両手を広げ大きな口を開け笑うことから始めよう」
FM番組のリスナーの独りよがりな気質を憂えての発言なのだが、
自分の言い方こそ独りよがりだったと、今更遅い反省。
もう一つの記事でも、笑顔が大切だとか、「普通がいい」とか、自分の意見をはっきり言ってほしいとか、今に繋がるようなことも、青いムラカミは考えていたようだ。
この時があって今がある。この時も全否定は出来ない。
恥ずかしさとともに、いとおしさも感じた。
(昭和55年7月23日付 富山新聞の記事)
余談。
あ、ボクだ!と思ったら、若き日の宮本輝さん。
芥川賞受賞直後にインタビューしたこともある。
ゆかりの富山を訪れたことを伝える新聞記事なのだが、
ボクに似ているので自分でビックリ!