ついに、「アベノマスク」が届いた。
マスクの入れ物に「3つの密を避けましょう!」と書かれていた。
マスクより、その字に目がいく。
みんなで集い、みんなで語らい、みんなで見る…そんな当たり前のことが「密」はいけないということになり、出来なくなってしまった。
ボクの周囲でも、自宅で「逼塞」している人が多い。
この閉塞感は、人間の心理に計り知れない影響を及ぼしている。
『ハゲタカ』の著者として知られる作家の真山仁さんが、自粛を強いる「強粛」という新語を使い、世情を論破している。共感するところ多く、
ここに要約しながら紹介する。
東日本大震災で原発の安全神話が崩壊したことで、国民の多くは、
何が正しいのかわからなくなった。
「正しさ」を振りかざす人がSNSを中心に増えた。
自分たちは権力者に騙された被害者だという立ち位置が、いつしか「我々は正しい」という自己弁護を生み、やがて「その正しさを揺るがす者は許さない」という攻撃に向かった。「正しさ争い」が激化する。
休業要請があっても、飲食店の営業を続けるのは「悪」なのだろうか。
この先も店を続けていきたいから必死で開けているのだ。ルールを守りながらギリギリの中で営業を続ける人をは「非国民」とでも言うのだろうか。戦前の隣組の密告というのは、こんな雰囲気だったのだろうか。
閉塞感を伴う自粛が続くと、感情のコントールが難しくなる。自分たちは何一つ悪いことしていないのに軟禁されるのはなぜなのか。だから、「破っているように見える」存在が許せないのだろう。
ウイルスに感染しないよう配慮しつつ、散歩もするし外食もしつつという緩い自粛生活を気長に続ける方が「健全なる選択」になるのではないか。無理な緊張よりリラックス。新型ウイルス騒動で、新しい何かを見つけてみようかと腹をくくることかもしれない。善悪を探すのではなく、あるがままの無理をしない生活こそが、この事態で一番大切なことなのだ。
自粛とは、自らの判断で慎めばよいのであって、誰かに要請されるものではない。現状は、強制的に慎む「強粛」というべきだろう。国民に「正しさ」を連呼する人に負けてはならない。
我々は、いま、新型ウイルスより恐ろしい「正義」という伝染病に立ち向かう勇気を持つべきなのだ。
(我が家にきたアベノマスク)
(朝日新聞 5月16日付け朝刊)
(作家 真山仁さん)