東京ことば磨き塾。
受付に行列が出来る大盛況。23名は過去最高。
たぶん、この日のゲスト人気だろう。
チーム田邊は総勢8名。久しぶりの喜多村さん、甲斐さんも。
ゲストは、ことのは語りの木村まさ子さん。
使うことばを意識したら自己肯定感が高まると、
母親の視線で、人の心に寄り添う講演活動で、全国を飛び回っている。ご多忙の中、時間を割いていただいた。
その語り口は優しい。
一点の曇りもない澄み切った声が、心にすっーっと染み入ってくる。
特に伝えたいことは、ことばを繰り返す。適度な間をとる。
話を聴いて、朗読を聴いて、涙を流す人も少なからずいた。
質問にも、丁寧に答える。質問した人を褒め認める。
自己肯定感が自然上昇する。
この日、木村さんは、いきなり「有難うを体感しましょう」と言った。
「ご自分の手を見てください」
「手首のところから両の手を合わせてください」
すると、指の長さが、左右対称でないことに気づく。
そこで、いくぶん短い方の手の指ひとつひとつに声をかける。
「親指さん、有難う。いつも重い荷物持ってくれて有難う」
「人指し指さん、有難う…」………五本の指すべてに有難うと言って、
再び両の手を合わせると、あら不思議。ぴったり揃う。
みんなから歓声が上がる。
「有難う」ということばは、自分の想念を変える。
「有難う」と口にすると、ほかの想念が入らない。
肯定感情を芽生えさせる。
夫「ただいま」妻「おかえり」。ここで終わらない。このあとに
「(留守番をしていてくれて、家事をしていてくれて)有難う」を言う。
さすれば、妻から「おかげさま」と返ってくる。
お互い褒め合い、認め合うことから夫婦の会話が成り立つ。
限界まで人のために突っ走る人が、参加者に2人いる。
「その優しさを自分に向けてくださいね」と木村さんに優しく諭されると、
涙ぐんでいた。自分に「有難う」なのだ。
ピアノ教師をして、他のお子さんにはなにごともない感じで接しているが、自分の子の反抗に手を焼いている母親が、感極まりながら訴えかけた。「ありのままの自分を受け入れてあげて」「自分に大好きって言ってあげて」と諭され、涙腺決壊。自分を浄化出来る涙が流せるのは素適なことだ。
「皺だらけ。血管浮き出ている。白魚のような姉の手と比べて黒い」
かつて、木村さんも自分の手にコンプレックスを持っていた。
あるとき、80過ぎのお年寄りに言われた。
「よう、働いた手だねー。その手を見たら、どんな仕事をしてきたかわかるよー」と。自分の手を見ながら涙が溢れた。自分の手が愛おしくなった。自分の手に有難うが言いたくなった。
「有難う」は、自分を認めることば。
あたりまえのことは何一つないと、自分に気づきを与えることば。
自分に「有難う」をいっぱい言っていると、
見るもの聞くもの出会う人すべてに「有難う」が言いたくなってくる。
(チーム田邊)