岩に爪をたてるヤナギー | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

柳澤秀夫さんを迎えてのトークライブ。

ダジャレも出るには出たが、内容の濃いトークになった。

 

1991年、湾岸戦争の時、

多国籍軍空爆直後の最前線から、テレビ界初の戦争生中継をした。

命を張った仕事をしてきた柳澤さんだが、自らが命の危機に瀕したときは、気持ちが揺らいだ。

2007年、肺がんが発覚し、ニュースウオッチ9のキャスターを途中降板した。なぜ、どうしてと後ろ向きの理由探しばかりしていた。「もっと生きたい」と切実に思った。

免疫療法が功を奏して職場復帰を果たしたとき、「どれだけ生きるかではなく、与えられた命をどう生きるか」と自問自答しながら仕事に向き合った。

 

2015年、あさイチの冒頭、後藤健二さんの死亡を受けて、柳澤さんは「彼は、紛争が起きると、弱い立場の人が巻き込まれて辛い思いをすることを一生懸命伝えていた。一人に出来ることは限界があるが、真剣に考えることを後藤さんは望んでいたはずだ」と語った。

 

有働由美子さんからのメッセージも紹介した。

「村上さんは、私がひよっこの時の育ての親。柳澤さんは熟女になってからの私を見守ってくれるオジキみたい。なんだか家族がステージに立つみたいで面はゆい」

「ウイルス感染が流行っているからと中国人を排したり、誰かを非難するようなことに導かないように思っています。自分の身だけが大事という風潮に、少しでも抗えたらと思っています」

このメッセージに2人して拍手を送った。

 

柳澤さんの「会津愛」は半端ではない。

祖母は、ご先祖が、会津藩転封先の斗南から持ち帰った南部鉄瓶を火箸で叩きながら「薩長は人にあらず」と口にしていた。150年経っても「ならぬものはならぬ」という会津魂は受け継がれている。

会津人の父からは「岩に爪をたてろ」と言われた。小学生の頃、父とアユを釣りに行ったとき、上空を悠然と飛ぶタカを見て、父が言った。

「タカは獲物が大きくも小さくても。渾身の力で捕まえるんだ。岩に爪をたてろ」。

父は、説教めいたことは言わない人だった。多くの講釈もしない人だった。「岩に爪をたてろ」ということばを思い返し「岩には爪はたてられないが、ことの大小を問わず、諦めず全力でぶつかれ」ということかと、自分なりに解釈している。

ジャーナリストとして「岩に爪をたてる」思いで取材対象に立ち向かってきた柳澤さんのことばは、来場者の心に深く刻まれた。

 

日本の未来に必要なことはと問われた柳澤さん。

「愛ですね」と即答。

ムラカミが、

「これからは返事はハイではなくアイにしましょう」と締めくくった。

 

(クロマチックアコーディオンの土屋恵さんの演奏に

耳を傾ける2人)

(なぜか土屋さんにマイクを奪われたムラカミ)

(NHK同期組4人衆

左から駒形さん、柳澤さん、ムラカミ、高野さん)