言葉が暴走する時代の処世術 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

ことばが独り歩きどころか暴走しはじめている。

人間だけが使える素晴らしい道具の取り扱いが配慮されていない。

ざんねんなことばたちの、いかに多いことか。

そんなことを想う昨今、表題の本に出会い、すぐさま読んだ。

ゴリラ研究の第一人者の山極寿一さんと、爆笑問題の太田光さんの

対談だ。本の中で印象に残ったことをまとめてみる。

 

ことばを交わす会話には、重なり合いがある。

その重層性が、会話の豊かさを育む。

相手の表情や雰囲気を汲み取りながら、

対面しているからこそ伝わる意味が生まれる。

だが、SNS全盛時代、書かれたことばは、直線状に繋がったテキストとしてしか目に入らない。直線的であるがゆえに、伝わる意味が薄っぺらなものになっている。

一つのことばは、特定の意味を示すわけではない。

同じことばでも、ほかのことばとの組み合わせによって、

多種多様な意味を持ちうる。

 

いまは、表面的なことばだけが暴走している。

わかり合う、交じり合うためのダイアログ、対話が大事なのに。

ことばというのは、本来あらゆる手段を駆使して和解を求める手段だったはずだ。それが「単なる記号」になってしまった。ことばが和解の手段でなく、人を傷つける武器になってしまった。諸刃の剣だが、ことばは人と人をつなぐ接着剤。

大切なのは、「共感」と「関心」。共感が橋渡しをして、関心が相手に向かう気持ちを作る。

太田さんは、「言葉を使えない赤ん坊がいちばん理解されているかも」と言う。周りは全身全霊で「発しない言葉」を理解しようとする。「発信者としての自分より受信者としての自分を磨いた方がいい」「わかりたいと思われる人になれ」と提言する。

 

山極さんは、太田さんのことを、手放しで、こう評す。

「相手の心に入り込み、面白いテーマを見つけると、さっと引き上げて距離をとり、ことばのボールを投げながら様子をうかがい、ボールの大きさや速度を変えて、相手の興味を引き出す。マンネリ化すれば鋭く切り込むし、険悪になればソフトな着地点を探す」

漫才やハナシカが苦手だったという山極さんが、太田さんと出会うことで考え方が変わったそうだ。どんな相手でも引き付ける話題を瞬時に出来るハナシカを初めて見たという。

太田光は、暴走しているように見えて、ことばを巧みに操る「ことばの錬金術師」といえよう。

 

いまの世の中、道徳心が欠如する一方なのは、ことばが通い合わないことが一因だと思うが、山際さんがあとがきに興味深いことを記している。

「かつての日本家屋は開け放しで、人の声がよく聞こえたし、人々は往来でよく立ち話をした。子どもたちは、その声を浴びながら育った。こういうことをすれば人に笑われたり後ろ指をさされるのだと思ったものだ。文字に書かれた道徳を読むより、知っている人の口から出た実例のほうが、よっぽど身に染みる」

「ハナシカも登場人物に色濃い個性を与えながら笑い飛ばし、人々に生きる節度や楽しさを伝えてきたのかもしれない。そう思うと、太田さんのような役割の重要性が改めて浮かび上がってくる」