いま、ボクの住んでいるマンションは、補修工事の足場のため
枠組や網で覆われている。
建物を囲む足場がないと、工事が出来ないから、枠や網も必要だ。
だが、いつまでもあったら、景観が損なわれ、塗り替えられた姿も見ることが出来ない。工事が終われば、足場は取り払われる。
人と話すときも、特に初対面や公の場では、ある程度枠や構えは必要かもしれない。だが、いつまでもあったら、表面的な会話で終わってしまう。良きタイミングを見計らって、枠や構えは取り払ったほうがいい。
昨日書いた金田住職も「自分の考えのクセ」はなくしたほうがいいと言っていたが、自分の考えは枠や構えに繋がる。
空気のような存在で話を聴くためには、自分の考えのクセを消さなければならない。
事前に仮説を立てることも、想像することも大切なことだが、インタビューが始まってしまえば、仮説通りには進むわけないのだから、柔軟に軌道修正しなければならない。
東京ことば磨き塾(7日)。塾長への「縁」」をテーマにしたインタビューワークでは、塾生たちから自発的に意見や感想やアドバイスが出た。お互いの「ことば」を慮ることが出来ていた。いい空気。いい感じ。
ボクもアナウンサーになった縁を聴かれ、中西龍先輩の「人の喜びを倍に哀しみを半分に」ということばに触発されたことだと答えながら、「そのことばを聴き逃さなかった当時のボクをほめてやりたい」と口を滑らせた。相手に枠や構えがないと、ポロリと本音が出てしまう。
長野県松川町から、早朝5時半のバスで上京して
来てくださった中村美幸さん。
高野登さんが「面白い男がいるから会っておいで」と
ボクのことを紹介したとか。「面白い」ということばは、ボクの好物。
松川のサクランボを持参。笑顔で観光ガイドも。
ボクがいただいたのは、双子ちゃん。