天命追求型の生き方 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

白駒妃登美さんから新刊が届いた。

古事記を通して、日本人としての生き方を示唆する本だ。

 

古事記は、始めも終わりもぼんやりしている。

疑問には答えてくれない。

あいまいさや白黒つけない姿勢が、物語を通して貫かれている。

だが、そこには「とてつもない叡智」が秘められている。

 

2600年以上の長きにわたって、日本人はあいまいだった。

そう思うと、白黒つけられない自分も受け入れられる。

お互いが理解しあうため、共通点を探したらどうだろうか。

落としどころが見つかれば、和を保つ。これはとんでもない叡智。

 

三種の神器は、鏡と剣と勾玉。いずれも磨くものだ。

磨き上げることが、日本人の「道」。

鏡は、清らかで明るく素直な心。

剣は、困難に立ち向かう心。

勾玉は、相手を思いやる心。

「和」は、この3つの心からなる。

3つの心をまんべんなく磨いてこそ、人生は拓かれていく。

寄り合わせた「和の心」は、大きな和の心。大和心になる。

昨日までの自分を常に超えていけば、

人生最後の日まで成長し続けることが出来る。

死ぬときが最高の自分になれる。

 

3つの心で生きるには、なにごとも「受けて立つ」姿勢が必要だ。

絶対的な受動の中に、究極の能動が含まれる。

起きた出来事を100%素直な心で受け入れる。

自分にとって望ましくないものでも、「いい」「悪い」と個人感情を出さない。角度を変えたら、価値判断は変わる。

困難に思える状況も、自分を実らせるための「天からの授かりもの」。

天から授かった「天命」に運ばれる生き方を「天命追求型」と呼ぶ。

天命に運ばれながら、今やるべきことに全身全霊を尽くす。

そして、機が熟すまで待つ。

 

白駒さんは、命の瀬戸際に立ったこともあるが、

それも天命と受け入れ、

正岡子規の「平然と生きる」という考えを受け入れ立ち直り、

いまは、人の喜びのために生きている。

まさに天命追求をした生き方をした結果、

自分に与えられた天命に気づかされた。