ようやく念願の門井慶喜さんにお会い出来た。
彼が直木賞を受賞する前から、対談を切望していたが、
受賞後は多忙を極め、
やっとのことでスケジュール調整が出来たのだ。
このブログでも、門井作品のことは、何回も紹介してきた。
これまで読んだ作品は、すべて一気読み。
読みだしたらとまらないものばかり。
話したいことが山ほどあって、ボクは舞い上がり、いつになく饒舌。
時間が過ぎていくのが早く感じられた。
大阪に住んでいる。
近畿には、古代から現代まで、歴史がすべて揃っているからだ。
古代都市・奈良、中世都市・京都、近世都市・大阪、近代都市・神戸。
こんなに歴史小説家にとって好都合なところはない。
最新作は、京都を舞台にした『新選組の料理人』だ。
小説を書くとき、2つのパターンがある。
「針小棒大」と「棒大針小」。
針の穴のようなことを大きくしていくパターンと、
過大評価されていることを裏面を探すパターン。
そのために必要な資料を集め情報収集するが、
その中から情報処理をして、「宝」探しをする。
正確に言うと「宝になりそうな原石」だ。
それを磨き上げて小説にしていく。
「書き出し」を大切にしている。
読者を「その世界」に誘わねばならないから。
ついつい、これもあれもと書きたくなるが、
知り得た情報を羅列しても仕方ない。
歴史のお勉強にしても仕方ない。
アナウンサーも「話し出し」を大切にしている。
かつて大学野球中継で「夕闇迫る神宮球場、ねぐらへ急ぐカラスが一一羽、二羽、三羽」と話した松内則三アナウンサーの話をしたら、
興味津々だった。(正確には、このアナウンスは語りだしではなく、
ゲームセット間近だった)
黎明期のアナウンサーを小説にしてもらえたら嬉しい。
登場人物にインタビューしながら書く。
「政次郎さん、どうして賢治の入院に付き添ったんですか」
「跡取り息子に死なれたら困る」と政次郎なら建前で答えるだろうなとか、シュミレーションしてみるのだ。
だから門井作品は、会話が聞こえてくる。
映像が目に浮かぶ。人物が動いている。
慶喜という名前が嫌いだった。
歴史好きの父がつけてくれたのだが、毀誉褒貶が激しく、
幕府軍を見捨て大阪城から逃げ出したとか悪口を言われている人物の名前をつけられたことは、有難迷惑だった。
龍馬にしてくれたらよかったのにと思っていた。
作家になった当初は、ミステリーを書いていた。
歴史小説を書くことに抵抗があったが、父が亡くなり、
しだいに歴史と和解出来て、筆を取る気になれた。
いまは、「慶喜」でよかったと思う。
ボクは、しきりに慶喜の汚名返上の小説を勧めた。
「考えたことはある」と答えながら、
門井さんはまんざらでもなさそうだった。
いちばん印象に残る作品は「次回作」だとか。
毎回、進化と深化を続ける門井さんが、
どんな姿を見せてくれるのか、次回作も次々回作も、
その次も・・・楽しみでならない。
対談は『月刊清流』10月号に掲載予定。