論語知らずの論語塾33~縁を活かす | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

 

論語知らずと言いながら、回を重ねて33回にもなると、

取り上げた論語も120を超えた。

そうなると、耳慣れず難しいものも出てくる。

論語と言っても、教訓めいたものだけではない。

「ボクみたいな優秀な人材、どうして採用してくれないのかな~」と、

なかなか任官出来ない己の境遇を嘆くものもある。

孔子といえど、完璧な人間ではなかったのだ。

師の死後、弟子たちが、「先生こんなこと言ってたなぁ」と思い起こしながら、まとめたのが論語といえる。

 

この日(12日)には、孔子が先輩から批判されているものを教わった。

微生畝(びせいほ)孔子にいてわく

何為(なんす)れぞ是栖栖(

 

 

せいせい)たるものぞ。

ち(すなわち)佞(ねい)すことからん。孔子対えて(こたえて)曰く、すにざるなり。

疾(にく)めばなり。

 

孔子先輩でれて自給自足の一人らしをしている微生という人が、「おはどうしてそんなにあくせくとかねばならんのか?世間にせず気楽暮らしたらいいではいか」といった。

これにして孔子は、「私は別に世間受け狙ってあくせくしている訳ではありません。自分さえければとじこもってがりになるのがいやなんです」とおっしゃった。

 

的を得たことを言われ、ハッとする孔子の心中が忍ばれる。

だが、殻に閉じこもり独善的な先輩を揶揄して言い返している。

なんだか互いに人間らしくていい。

人は自分一人で生きている存在ではない。

様々な縁によりて生かされている存在だ。

血縁・地縁・人縁・時縁、どれ一つとして粗末にできない。

縁を大切にする者は縁によりて活かされる。

孔子は先輩の批判を逆手にとって、

そう伝えたかったのではなかろうか。

偶然の出会いなど一つもない。

単なる偶然にしてしまうか、それを必然にするかで、

人生は大きく変わる。

縁を活かすには、じっとなどしておれない。