村上が村上に行く | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

ようやく念願叶って、村上が村上に行ってきた。

新潟県村上市。

村上駅。村上商工会議所。村上信用金庫。村上新聞社。

どこもかしこも村上だらけだ。

村上市は、新潟県で最も北に位置する。

村上藩の城下町の雰囲気を今に残している。

 
村上といえば鮭。地元では鮭のことを「イヨボヤ」と呼ぶ。
イヨも魚、ボヤも魚。つまり魚の中の魚という意味だ。
鮭のすべてを使い切る料理は100種類にも及ぶ。
その歴史は古く、平安時代には
遠く京都の貴族に三面(みおもて)川の鮭が
献上されていたことが記録に残っている。 
江戸時代には村上藩の主要な財源となっていた。
村上藩の青砥武平次(あおとぶへいじ)が
世界ではじめて鮭の「回帰性」を発見する。 
回帰性、とは鮭が生まれた川に戻ってくること。
その性質を生かし、三面川に産卵に適した分流
「種川」を設け、鮭の産卵を助けることで
鮭の回帰を促した。
いわば世界初の「自然ふ化増殖システム」。 
このことで三面川の鮭の漁獲高は飛躍的に増え、
藩の財政も潤った。 
これによって村上は「鮭のまち」として
全国的に知られるようになった。
明治時代には鮭の人工孵化にも成功。
それによって得た財源を
旧士族達の子弟教育に使い、
そのことから立身出世した人を「鮭の子」と呼ぶ。 

米が不作の年には
鮭によって命を救われてきた村上の人々。
一尾の鮭を大切に思い、活かしきろうと
さまざまな料理法を開発したのだ。  
塩引鮭、焼漬、酒びたし…
街のあちこちに、塩引にするための鮭がぶら下がっている。
まるで、街のシンボルのようだ。
 
村上が1年でいちばん熱く燃えるとき・・・というキャッチコピーに、
まるで自分のことを言われているような気分になった。
寛永10(1633)年に始まった「村上大祭」。
3基の神輿に荒馬14騎と稚児行列が街中を巡行する。
その後に続く19台の屋台(おしゃぎり)が圧巻だ。
「村上祭の屋台行事」は、
今年1月、国指定の重要無形民俗文化財に選ばれた。
今年の祭は、指定後初のものとなり、いつも以上に燃えている。
7月6日、7日、村上は祭一色となる。
 
とにもかくにも、どこに行っても、村上一色。
村上が常に話題の中心。
なんだか自分のことを言われているようで嬉しくなる。
ボクも、「村上です」と言いたくなる気持ちを抑えながら、
風情のある街並みを散策した。