(岸井成格さん)
いま、混沌混迷を深める日本において、
なくてはならない人がいなくなってしまった。
ジャーナリスト、岸井成格(しげただ)さんが亡くなった。
享年73。
難しいことをやさしく、やさしいことを深く 深いことをわかりやすく
語れる人だった。体制に迎合しない人だった。
鋭い刃を突きつけるような言い方でなく、
ソフトな物言いだが、そこには「強い意志」が込められていた。
TBS『サンデーモーニング』を見る一つの楽しみは、
岸井さんのコメントを聞くことだった。
毎日新聞記者として、岸井さんが最初に勤務したのが熊本支局。
水俣病患者で重度障害の女の子を取材したときの「悔恨」が、
ジャーナリストとしての原点になっている。
女の子が何か話しかけたが、「うめき声」にしか聞こえず、
それ以上深入りしなかった。だがあとで思い返した。
女の子の意識は育っている。あの時、真剣に耳を傾けていたら、
あの子の声が聞こえてきたかもしれない。
公害という巨大な暴力で、人の命がないがしろにされているのに、
それに気づけなかった「悔恨」があるのだ。
だからこそ、
声なき声を聞き取るジャーナリストでありたいと思ってきた。
その岸井さんの姿勢を、姜尚中さんは、「含羞の人」と評した。
「含羞」・・・このことばの意味を、いまどれだけの人がわかるだろうか。
恥を知ることは、日本の文化でもあった。
はじらい、はにかみは、ある種の美徳であった。
姜尚中さん自身が、含羞を込めながら言う。
「戦後民主主義は、悔恨共同体だったはず。戦争を始めてしまった悔いがベースにあったはず。右も左もあっていいが含羞がないといけない。岸井さんは悔いを知っている。恥を知っている。いまの世の中、恥知らずが多い。自分のやっていることは間違っているかもしれないという意識を忘れてはいけない」
サンデーモーニングのスタジオで、長年ともにすごしてきた関口宏さんが、病床の岸井さんを見舞ったとき、絞り出すような声で最後に聞いたことば。
それは、「たるんじゃったな。みんな」だった。