児玉清さんの命日は5月16日。
今年で、はや7年経った。
いつも心の中で生き続けている児玉さんだが、
とりわけ5月になると想いが募る。
父が亡くなったあと、児玉さんは、ボクにとって父のような存在だった。
児玉さんは、なにかにつけて親身になってくださった。
いつも「聞き流す」ということがない。
「恐縮です」ということばをよく口にされた。謙虚な人だった。
NHK「ラジオビタミン」に毎月1回レギュラー出演してもらっていた。
「児玉清の読み出したらとまらない」で、口角泡を飛ばしながらの
語り口は、いまも耳に残っている。
児玉さんと、番組打ち合わせのため、電話やFAXでやりとりをした。
直筆のFAXは、宝物だから、ずべて保存してある。
放送の打ち合わせをしながら、互いの近況を語り合った。
児玉さんの「ぼやきごと」「繰り言」を聞くこともあった。
そのときは、不遜にも、ボクが励ました。
だが、ほとんどは、ボクのサラリーマンとしての「ぼやきごと」。
取るに足らぬ話に真剣に耳を傾け、
時に同情し、時に本人以上に憤りを覚えてくれた。
そして、電話を切ったあと、興奮が冷めてから、冷静なFAXが来た。
「世の中はジェラシーの塊です。出る杭は永遠に打たれます。
だからファイト!!」
いまでも、児玉さんの筆跡を見ただけで泣きそうになる。