論語知らずの論語塾も30回目(3月6日)。
塾長の安岡さんは、子ども論語塾に力を入れている。
ボクも見学したことがあるが、実に「子どもあしらい」がうまい。
乱暴な言い方かもしれないが、「野放し」なのだ。
勝手気ままにやらせている。
だが別々のことをしていても、「唱和」だけは揃う。
繰り返し繰り返し音読することで、身体が覚えていく。
このような学び方は、江戸時代の寺子屋で実践されていた。
たとえ意味がわからなくても、繰り返し素読し記憶する。
理解したら、自分でも講義する。
そして、集団で議論する。
この3つの段階で「言語の身体化」をするのだ。
午前中のひととき、
同じ文章を揃って声に出すだけで、心が一つになる爽快感がある。
今回から「子(子ども)曰く」・・・と題して、
子ども論語塾のエピソードを聞かせていただいた。
ある保育園で。素読を終えたところで、一人の園児から質問。
「君子って何人いるの?」素朴な質問だ。
「こういうふうになれたらいいなーって人なんだよ」と答えたそうだ。
宮城県塩釜は、文武両道の塾だ。
剣道の稽古を1時間、論語の素読に2時間もかける。
竹刀をしまう袋には、論語の章句が刺繍してあるそうだ。
剣道の試合の時、手のひらに「剛毅朴訥」と書いた子がいた。
「強くなれそうだから」と。いいなぁ。
ボクたちにもこういう感覚が残っているはず。
素読が邪念を消し、素に戻してくれるに違いない。