ありのままに生きた真屋順子さん | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

2005年10月10日に撮影した写真である。

名古屋市の中川文化小劇場で開催した

NHKラジオ「いのちの対話」公開放送の時の記念写真だ。

この時のゲスト、3人とも鬼籍に入られた。

 

この時のテーマは、「夫つ妻の絆」。

夫の介護をしていたペギー葉山さん、

妻の真屋順子さんの介護をする夫の高津住男さんをゲストに招いた。

ペギーさんは、去年4月夫のもとへ旅立った。

そして、2010年7月に亡くなった夫のもとへ、真屋さんも旅立った。

 

真屋さんは、2000年に脳出血で倒れて以来、

病との闘いの日々だった。

夫の献身的介護で車椅子で舞台復帰を果たしたが、

容赦なく、病魔が襲った。

4度の脳梗塞、2度の心不全、さらには大動脈瘤と、

これでもかこれでもかと襲い来る病魔と闘ってきたが、

ついに、去年末、力尽きた。

 

真屋さんは、夫婦で設立した劇団の看板女優だった。

「出雲の阿国」を演じることがライフワークだった。

舞台復帰後、車椅子で阿国を演じる真屋さんを間近で見て、

女優魂に感じ入った。

「芝居は、天才的なものではなく、ふだんの生活をきちっとしていくことから生まれると気づいた。何でもないことを何でもないようにこなすことが大事だと気づいた」

真屋さんは、当時、こう語っていた。何でもないことが何でもないように出来なくなってしまって気づく心境だったのだろう。いま思い返すと、せつなくなる。

 

きょうは、たまさか、真屋さんの誕生日だ。

2人が立ちあげた劇団「樹間舎」のHPを見たら、

きょうの日付で長男の健一郎さんが、コメントを寄せていた。

2017年12月28日午前3時46分、

真屋順子は全身衰弱のため逝去しました。
本日の誕生日を目の前にした、75歳でした。
2015年4月に発症した脳梗塞の治療と、リハビリテーションのため入院しておりました東京都文京区の病院にて、私、高津健一郎が看取る中で旅立ちました。 17年間の闘病の荷を降ろし、夢を見ているような、静かで、とても穏やかな最期でありました。
12月30日、親族、近親者による火葬式を執り行いました。今後、生前お世話になった方々には、「お別れの会」を催す所存でございます。
何より、真屋はたくさんの方々のご支援、ご声援を賜りました。

その感謝の想いは言葉では尽くせません。

2003年、後遺症を抱えながらも舞台復帰を決断した際、

自分の生きる姿を「ありのまま」にお見せすることが、

女優として出来ることの全てであり、

謹んで感謝を申し上げることだという信念を持ちました。

その信念を貫いた生涯でありました。

真屋順子を支えてくださった方々お一人お一人に、

厚く御礼を申し上げます。どれだけ御礼を重ねましても足りません。

残された家族としては、ただただ切なく寂しい気持ちで一杯ですが、

真屋を愛していただいた皆様の心の中に、

母のあの笑顔を感じる時がございます。

今はそれを私の勇気にさせていただいています。
これからも、真屋順子の姿が、皆様の元気となれば果報です。
ひとつの区切りはありましたが、「ありのまま」は、まだ続いています。

 

ボクも、真屋順子さんの「ありのまま」「ひたむきな」生き方を忘れない。