燃える男が燃え尽きてしまった… | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。


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「燃える男」といつも言われていた。

「闘魂」ということばもぴったりくる。

妥協なき生き方を貫いてきた星野仙一さんが亡くなった。

突然の訃報に驚くばかりだが、ここ1年半ばかり、

病気と闘ってきたという。70歳は、早すぎる退場だ。

 

去年、念願の野球殿堂入りも果たした。

年11月28日に東京、12月1日に大阪で

「野球殿堂入りを祝う会」が開かれた。

その時、周囲も開催を心配するほど弱っていたそうだが、

それでもマイクを握る表情は明るく

「ずっと野球と恋愛してきて良かった。もっともっと野球に恋をしたい。プロとアマの垣根をなくさなければ、野球界が前に進まない」と意気込みを熱く訴えた。

しかし、「祝う会」終了後は、

精根尽き果てたように床に伏せる時間が増えた。

4日早朝、2人の娘や家族らにみとられ、

「まるで昼寝をしているかのように」息を引き取ったという。

 

闘いに明け暮れた野球人生だった。

マウンドで雄たけびを上げては打者をねじ伏せた。

強烈なリーダーシップで、

日、阪神、楽天と3つのチームを頂点に導いた。

ドラフト指名が有力と言われた巨人入団がかなわなかった。

そこから「巨人を倒す」ことに全力を注ぎ、

74年には中日のエースとして巨人の10連覇を阻んだ。

引退後は中日の監督として2度のリーグ制覇。

02年には4年連続最下位だった阪神の監督を引き受け、

当時、流行語大賞にもなった「勝ちたいんや」の精神で

就任2年目で優勝を飾った。

楽天監督に就任直後の11年3月に東日本大震災が発生したが、2年後の13年に巨人を日本シリーズで倒して日本一となり、

被災地を勇気づけた。

 

ボクは、NHK名古屋放送局時代、よくお目にかかっていた。

当時担当していた「ウィークエンド中部」という朝のニュース番組で、

時折、ゲストで来ていただいていた。

番組を終えて、スタッフと何度か、ホテルで朝食をともにした。

気さくな人だった。
ボクが「阪神ファンなんです」と、中日のおひざ元にも関わらず告げると、「そうか!俺も岡山だから、阪神ファンだったんだ」と応じてくれた。
阪神の監督を辞めた頃、ラジオのスタジオにもお呼びした。
そのときのことを、自著『嬉しいことばの種まき』に書いている。
星野さんは激情家のように見られるが、
決してむやみに理不尽に激しているわけではない。
愛がなければ叱ることは出来ないと語っていた。
「大きな声で、人前で、即座に、真剣に、本音で、シンプルに」と
いうのが星野流叱る哲学。
出る杭を打っていては、持ち上げて落としていては、人は育たない。
失敗は誰でもするもの。
失敗しても何度でもチャンスを与える得点主義で通してきた。
「お前たちを幸せにするという」結果責任の覚悟も持っていた。
だから、叱られた選手からも慕われているのだ。
 
ボクも、星野さんの足元にも及ばないが、
自分の使命のため、
本気で真剣に取り組んでいこうと思いを新たにした。
 
 

 

 

 


 

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