論語知らずの論語塾(7月11日)から。
512にある論語の章句は、教訓的なものばかりでない。
取るに足らないものもある。
というか、孔子の人間らしさを感じるものがある。
そんなエピソードの一つ。
孔子の家には、いろんな客人が来た。
孔子ほどの人物だから、分け隔てなく、来るもの拒まずで、
誰とも面会した・・・わけではない。
会いたくない人には居留守まで使った。
陽貨という身分は高いが暴れん坊な人が訪ねてきた。
会うと面倒になると思った孔子は、居留守を使った。
諦めた陽貨が土産を置いていったので、御礼を言わねばと、
陽貨の留守を見計らって出かけていく。
ところが、道すがら出くわしてしまい、決まりの悪い思いをする。
おまけに陽貨のご高説を延々聞かされる羽目になる。
孔子の心中を察すると、いささか可笑しくなる。
別の客人の話。
居留守を使った上に、その人が諦めて帰って、まだ家の近くにいることを見計らって、楽器を奏でたこともある。「私は家にいるけど、あなたには会いたくない」と伝えるために。
結構イヤミなおじさんの一面もあったようだ。
だから、論語は、自戒のためのものでもあったのかもしれない。
安岡塾長は、そういうことも包み隠さず、
大らかに笑いながら伝えてくれる。
だから、この塾は敷居が低い。