大阪・高槻市芥川公民館で種まき(14日)。
市内を流れる芥川に近くにあるのだが、
一方通行のような細い道を曲がり曲がった先に、
はたして公民館はあった。
住宅街の中に、まさに住民の集いの場所として。
「おはなしのつどい」というのがいい。
講演会のような堅苦しさがない。
「社会を明るくする運動」の一環の会だから、
嬉しいことばは、もってこいのテーマ。
夜7時からの始まりだが、会場は満席。
家事を早めに終えて駆け付けた女性が8割。
仕事帰りの男性が2割といった感じだ。
今回は、なぜか母の話をたくさんした。
母やボクが生まれた京都が近いせいだろうか・・・。
30年以上前に若くして亡くなった母の妹が入院して
いたのが高槻の病院だからだろうか・・・。
母との温度差がなかなか埋められず、
母との距離感を計りかねていたことを正直に話した。
頸椎のヘルニアで苦しむ母の口から出ることばは、
「イタイ、ツライ、シンドイ、サミシイ・・・」とマイナスことばばかり。
「イタイネェ、ツライネェ、シンドイネェ、サミシイネェ」と寄り添えばいいものを、「痛いのは生きてる証拠」と、ひどいことをいう息子。
言った本人も、言われた母も嫌な気持ちになる。
売り言葉に買い言葉はよくない。
母は、嬉しいことばの反面教師だったのかもしれない。
会場には、おかあさんがたくさんいた。
腹を痛めて生んだ我が子に、ついついマイナスことばを口にしてしまう
自分を責めてしまうおかあさんが多い。
そんなおかあさんに、がんばっている自分に嬉しいことばをかけて、
自分を褒めてと声をかけた。
『おかあさん、だいすきだよ』という絵本も読んだ。
「ぐずぐずしない!はやく!はやく!」と急き立てず、
「一人で出来てえらいね」と言ってくれたら、ぼくもっとおかあさんのこと好きだよ。
と、マイナスことばをプラスことばに変えることを教えてくれる絵本。
わが胸に手を当てながら涙しているおかあさんもいた。
口で言うのは簡単だ。
ボクも母も「親子という信頼関係」に安住して、
お互いなかなか嬉しいことばが使えなかった。
親しいからこそ、油断してしまう。
油断して、お互い傷つけてしまう。
だからこそ、
かなり意識して「嬉しいことば」を使う努力をしなければならない。
母へのザンゲの想いを込めた「おはなしのつどい」であった。