愛媛の旅の帰途、砥部町にある坂村真民記念館に立ち寄ってきた。
97年の生涯に書いた詩は1万を超えると言われる。
詩碑は、国内外に700を超える。
まさに、その「真言」は、人々の心の支えとなっている。
坂村真民は、1909年(明治42年)、
熊本県玉名郡府本村(現・荒尾市)に生まれた。
8歳の時、父親が急逝し、どん底の生活の中、母を支えた。
神宮皇學館(現・皇學館大学)卒業後、熊本で教員となる。
その後、朝鮮に渡って師範学校の教師をし、
終戦後、朝鮮から引き揚げて愛媛県に移住。
高校の教員として国語を教え、65歳で退職した。
58歳の時、砥部町に定住し、
2006年(平成18年)97歳で砥部町にて永眠した。
20歳から短歌に精進したが、41歳で詩に転じ、
個人詩誌『詩国』を発行し続けた。
1200部すべて、自分の手で発送した。
家族にも手伝わせなかった。自らに修行と課した。
午前零時に起床して、夜明けに重信川のほとりで
地球に祈りを捧げる生活も晩年まで続けた。
真民の人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、
弱き者に寄り添い、癒しと勇気を与えている。
真民記念館は、5年前にオープンした。
以来、全国から真民ファンが訪れている。
展示されている作品を見ていると、
印刷された文字と違い、真民の肉筆は息遣いまで聞こえてきそうだ。
真民は、かくありたいと念じながら、
なかなかその想いの通りにならない自分を
常に鼓舞しつづけていたような気がする。
だから、念じることを一時たりと、休まなかったのであろう。
「念」とは、今の心と書く。
過去や未来にとらわれず、
今に集中して念を入れることが肝要だということだろう。
「念ずれば花開く」
「嬉しいことばを口にすれば笑顔の花が咲く」
(真民が愛した朴ノ木)
(朴ノ葉に書いた真民がたどりついた境地)
(再現された真民の書斎)
(仏足石 真民が重信川の河原で見つけ、
毎朝、額をつけて拝んでいた)
(重信川の河原にも行ってみた)