「駕籠に乗る人、乗せる人」
父から何度も何度も聞かされたことばだ。
電車に乗る時、飛行機に乗る時、タクシーに乗る時・・・いつも思い出す。
乗せてくれる人がいるから乗れる。
そのことを忘れてはなるまいと、
まるで父がいまも傍にいて戒めてくれているようだ。
そのように、誰にも、日々の暮らしに根づいたことばがある。
それは、それぞれの家族の生き方や暮らし方をあらわし、
知らず知らず自分のよりどころにしていることばだ。
今年は、幸田露伴生誕150年。
名作『五重塔』を遺した明治の文豪、文化勲章第一号受賞者。
その幸田露伴を曾祖父に持ち、祖母の幸田文も、母の青木玉さんも、文筆家。
そんなすごい家系に生まれた青木奈緒さんも、図らずも文筆家の道を選んだ。
四代をつなぐ幸田家のことばには、意気があり、ユーモアがあり、
折り合いをつけながらも潔く生きるための力がある。
奈緒さんが、このたび、幸田家に受け継がれてきた「ことば」をまとめた。
『幸田家のことば』(小学館)では、ことばの伝承を書きたかった。
本の中で書いているのは、
身近な言い回しや思い出深い光景であり、
決して「古いことばを知っていることの自慢」や「幸田家自慢」ではない。
古いことを書き残すのが目的ではない。
奈緒さんが、郵便をとりに家から出てきたところ、
下校時間でちょうど家の前の通りを女の子が3人くらい駆けてきた。
ひとりが家の前でとまり、友達に向かって「学校に傘忘れちゃった」と言うと
「明日持って帰ればいいじゃない」「早く行こうよ」と先を促した。
すると、その子が「先へ行ってどんな苦労が待っているかわからないから、
学校に戻って傘、とってくる」と行って学校へと走って戻っていった。
これを聞いていて、
「この子が思っている先行きの苦労ってどんなことなんだろう」とおかしかったが、それと同時にきっとこの子の家族の誰かが、
「先へ行ってどんな苦労が待っているかわからない」と口癖で言っているのだろう、「将来、この子自身も、何かの折に先へ行ってどんな苦労がと口癖にしていた家族の表情とともに思い出すんだろうな」と思った。
家族のことばというのは、おそらくこんな風に伝えられていくのだろう、と。
誰にも何かしら身についたことばはきっとあるはずなのに、
核家族化のいま、かなり一所懸命探さないと見つからない。
だから、探すきっかけにしてほしいと本を書いた。
幸田家には、ポジティブな前向きなことばが多い。
「立つときは倍の力になる」「人には運命を踏んで立つ力がある」
「終わりよきもの、みんなよし」・・・
なかでも「あとは野となれ山となれ 私の行く先ゃ花となれ」は気に入った。
このことばは、露伴の時代、
幸田家のお手伝いに来ていた「おふみさん」の口癖だったそうだ。
さぞかし、明るい人だったことだろう。
「あとは野となれ山となれ」は知ってはいたが、その先は知らなかった。
その先がないと自暴自棄的な言い回しだが、「私の行く先ゃ花となれ」が付くと、
明るい将来展望が開ける。
幸田家五代目の懸念を問うと、奈緒さんから、
「あとは野となれ山となれ 私の行く先ゃ花となれ」と同じことばが、
明るい口調で返ってきた。
青木奈緒さん出演の『日曜はがんばらない』(文化放送)は、
3月26日10:00~の放送予定。