思わず抱き締めた。
「よく、がんばったね」と。
涙がこぼれた。
岩手県陸前高田の「奇跡の一本松」。
会いに行くのに、6年かかってしまった。
けなげに、はかなげに、そして誇らしく、たった一本で、ものすごい存在感を示していた。
名勝高田松原には、7万もの松林が広がり、まさに白砂青松の場所だった。
いまから350年前、寛文7年(1667)、高田の豪商・菅野杢之助によって植栽され、
仙台藩と住民の協力によって6200本のクロマツが植えられた。
その後、享保年間(1716-1736)には松坂新右衛門による増林が行われ、
以来、クロマツとアカマツからなる7万本もの松林は、
防潮防風防砂林として役だってきた。ここにも気骨のある日本人の先達がいた。
しかし、あの日、大津波が根こそぎ、松原の景観を奪い去った。
唯一耐え残った松が「奇跡の一本松」として、復興のシンボルとなった。
だが、その一本松も海水を浴びて深刻なダメージを受け、
2012年5月に枯れ死した。
伐採も考えられたが、特別な措置を施し、保存されることになった。
いわば震災遺構の一つである。
いま、松の苗木を育て、高田松原を再生しようという動きもある。
その中には、震災前に獲れた高田松原の松ぼっくりの種から育った苗木もある。
350年の歴史は、次世代に受け継がれようとしている。