『川田龍平くんを励ます会』の司会を務めてきた。
龍平さんとは、今年の1月に知り合ったばかりだが、
旧知の仲のような気がしている。
それもそのはず、彼はボクのラジオをよく聞いてくれていたから、
初対面のときも、前から知っているような感覚になったのだ。
偶然、10年前の2006年に、番組あてに彼がくれたお便りが、
うず高く積まれたボクの資料山から発掘された。
2006年といえば、彼が参議院議員に立候補を決めた年だ。
出馬を決意したそのとき、彼は決意表明で、こう述べている。
「何もしないで、あきらめてしまうのではなく、
最後まであきらめないで生きていきたいと思います。
薬害エイズのときもそうでした。
『どうせ、何をしたって無駄だ』とあきらめるのではなく、
周りの人達と一緒になってとりくんできたことが、一人ひとりを動かし、
その一人ひとりが行動したことが画期的な裁判の和解へとつながったのです。
あきらめなければ、できることがあります」
以来10年、国政の場で、
「いのちが最優先される社会の実現」を目指して、あきらめずに尽力している。
その彼の一途な姿にほだされ、彼を支援応援する人たちが、
昨夜、ホテルオークラの会場に集った。
龍平さんは東京経済大学を卒業したのだが、ホテルオークラは、
東京経済大学の前身・大蔵商業学校創立者の大倉喜八郎が設立したホテルなのだ。
毎年11月に母校にとってゆかりの深い場所で、励ます会を開いているのも、
律儀な龍平さんらしい。
民進党の蓮舫代表、江田憲司代表代行、管直人元総理などの政治家のお歴々も
顔を見せたが、公務多忙なのか、またたくまに会場からいなくなった。
政治家が少なかったせいか、和気あいあいとした会になった。
類は友を呼ぶというが、龍平さんの人柄が佳き人脈を作っていると思う。
ずいぶん前から彼を支えている人や、母校・東京経済大学の関係者も多かった。
中には、彼を後輩と思ったことがない先輩がいた。
その先輩は「自分の生きる道標」とまで言い切った。
龍平さんは、いのちを削りながら、いのちを守るために、
真摯に、ぶれずに、あきらめずに頑張っている。
その生き方が、先輩をして、そう言わしめたのだろう。
この会場に来た多くの人たちは、彼を励ましに来たつもりが、
逆に励まされて帰路についたことだろう。
ボクも、その一人だ。
(中央は、川田夫人の未果さん)