忍者と組紐の里に行く | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

きょうは、三重県の伊賀上野まで、日帰りで行ってきた。

三重県教職員組合伊賀地区高等学校支部の研修会の講師として招かれた。

このところ、学校の先生づいている。

今回、依頼があったとき、事務局の佐々木さんに、

ボクを呼ぶ理由を聞いたら、「ミーハーなんです」と。こういうの好き。

そして、ボクの心が動いたのは、伊賀上野という土地柄。

亡き父は、京都の和装小物問屋で働き、「日本一の組紐屋」を自認していた。

組紐生産のさかんな伊賀上野には、何度も足を運んでいた。

ボクも父と一緒に行ったことがある。

伊賀牛の名店「金谷」で食べた牛肉の味は、舌が覚えている。

 

そして、伊賀上野といえば、もう一つ。忍者の里だ。

旧知の時代小説作家の多田容子さんは、忍者好きが嵩じて、伊賀上野に移住した。

15年ぶりに多田さんに会えたのも、時空超えの忍術のおかげかもしれない。

多田さんは、1971年、香川県高松市生まれ。
兵庫県尼崎市に育ち、京都大学経済学部卒業後、
金融関係に就職したが、退職し、作家になった。
99年、柳生十兵衛を主人公にした小説 『双眼』(講談社)でデビュー。

そのころ、インタビューしたのが出会い。
その後、長篇の時代小説を中心に数多くの作品を発表している。
彼女は、実践型の作家。
柳生新陰流や居合道の研鑚に余念がない。手裏剣も嗜む。

古武術にも造詣が深い。

 

多田さんは、小柄だ。

幼い頃、身体の小さな自分は弱いと自己卑下していた。

テレビ時代劇で忍者の活躍を見て憧れた。

強きを挫き、不可能を可能にする存在だった。

忍者になったつもりで生きたら、何でも出来そうな気がした。

久しぶりの再会を果たし、忍者談義で盛り上がった。

ボクの時代小説執筆意欲も掻き立てられた。  

 

(中央が多田容子さん、右が伊賀白鳳高校校長の辻正幸さん

多田さんと辻さんは忍者友達)