世界のニナガワと呼ばれ、内外の演劇関係者が一目も二目も置いた
演出家の蜷川幸雄さんが逝った。享年八十。
新聞もテレビでも大きな扱いで報道していた。
その報道ぶりで、その人の生前の評価がよくわかる。
交遊のあった人たちの談話からも、その人が見える。
「自分の言葉をどれほどかき集めても足りないほど悲しい」(宮沢りえ)
「それじゃあ、普通の役者でしょ?
許さないよ。もう1回と言われたことは忘れません」(大竹しのぶ)
「ものすごいエネルギーの人。16歳のときから僕のヒーロー」(野田秀樹)
「稽古場では鬼になれる人だが、俳優の成長を考える愛情ある人」(阿部寛)
「父の娘でいられたことを誇りに思います」(蜷川実花)
蜷川さんの口癖の一つに「恥ずかしい」があった。
自分の美意識から外れた表現を「恥」として許さない厳しさがあった。
西洋文化を、ただ真似するのは「恥」だった。
シェークスピア劇やギリシャ悲劇を日本人の感覚で大胆に視覚化した。
『マクベス』は仏壇の中で演じられ、
『王女メディア』には津軽三味線が奏でられた。
晩年の口癖は「枯れたジジイにはならない」。
「最後まで枯れずに、過剰で、創造する仕事に、
冒険的に挑む疾走するジジイでありたい」
病室では、台本を傍らに置き、打ち合わせも重ねていた。
舞台への情熱は、最後まで枯れることはなかった。