「非配偶者間人工授精」 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

医療技術の進歩と共に、

精子や卵子提供による人工授精、体外受精、代理出産と
第三者が関わる「生殖医療技術」もどんどん進んでいる。
その一方で、生殖医療にかかわる法律は整備されていない。
「生まれてきた子の権利」が語られることはない。

「自分の親が解らない悩み」を抱えた人がいる。

第三者の精子提供を受けて母親から生まれた人
『非配偶者間人工授精(AID)』で生まれた石塚幸子(さちこ)さんだ。


石塚さんの父は、筋ジストロフィーを患っていた。

両親は病気が遺伝性ということで、「非配偶者間人工授精」を選んだ。

母からその事実を告げられたのは、23歳の2002年8月。
「父と血はつながっていない」

「昔、慶応大学で精子提供を受けた」

「提供者については何もわからない」
当時、大学院で地質学を研究していたが、以来「AID」で頭の中はいっぱい。
研究も手につかず、相談する相手もなく悩み続けた。

眠れない、食事が取れない、涙がとまらない。

感情をコントロール出来なかった。

自分は、親が隠したい恥ずかしいと思っているような方法で

生まれてきてしまったのかと。

親にすら、自分のありのままの存在を認められていないのか。

親だけでなく、他者との信頼関係も築きにくいと感じた。
両親と一つ屋根の下で暮らすかが嫌で、家を出て、大学院も中退した。


2005年に『非配偶者間人工授精(AID)で生まれた人の自助グループ』を

立ち上げた。
AIDで生まれた私は一体何者なのか・・・

自己喪失の悩みを打ち明ける仲間がほしかった。

AIDに関する情報量も増やしたかった。


精子というモノでなく、

人が関与して自分が生まれたという事実を確認したかった。
喪失感を埋めるために、確認作業が必要だったのだ。


「非配偶者間人工授精」(AID)は、

1948年に「慶応大学」で始まり、
推定で年間160人前後、既に1万~2万人が生まれたとされているが
その当事者である人々の情報が皆無なのだ。
また、生まれた子の「出自を知る権利」も保障されてないので、
「(精子提供者である)もう一人の親」の存在を知る手段がないのが現状だ。

石塚さんたちのグループは、

2014年に、「第三者が関わる不妊治療に関する法案」を検討する
自民党プロジェクトチームに、「意見書」を提出した。

 「法案」では、生まれてくる子どものことが考慮されていない。
生殖技術の一番の当事者は、生まれてくる子どもなのに・・・。


生殖医療で一番の課題は、子どもを欲しいという親の欲望が優先されて、
「生まれてくる子供の視点」が欠如していることだ。

子どもにとって、実の親は誰かを知ることはとても根源的な願いだ。
育ての親があっても、その育ての親への感謝の思いとは別に、
自分の実の親について知りたいと思うのが自然の願いで、
それは子どもの天与の権利といえる。


「結婚したら子どもを作るのが普通」。
「親子は血がつながっているのが普通」。
そんな家族観が精子や卵子提供をここまで広げ、
子に事実を隠す態度に結びついている。

石塚さんは、
もっと多様な家族を認める社会であってほしいと思う。


石塚さんは、自己主張の強い人ではなく、

聞く耳をもった素適な女性であった。

石塚さんご出演の『日曜はがんばらない』は、

文化放送1日10:00~放送予定。




(中央が石塚幸子さん)