絶望は希望に変わる | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

大谷貴子さんに会いに行ってきた。

神渡良平さん主宰の「照隅会」のゲスト講師として、

大谷さんが来ると聞きつけ、サプライズで顔を出した。

大谷さんが、白血病に罹ってから、今年で30年。

彼女が東海骨髄バンクを立ち上げ、

NHK名古屋放送局によく出入りしていたころからの知己だ。


大谷さんの講演は、聞きやすかった。

ともすれば堅くなりがちな内容だが、

大阪弁でまくしたて、時に泣かせ時に笑わせの見事な話芸。

話がすべて具体的で、情景や人の顔が浮かんでくる。


当時、白血病はイコール死を意味した。

本人も家族も絶望のどん底にいた時、

唯一、アメリカで看護の仕事をしていた姉だけは違った。

病名も告げられていなかった妹に告知し、

治すための方策を必死に考え、行動に移していく。

姉は、妊娠中の身も顧みず、全身麻酔をして骨髄移殖を願い出た。

堕胎を決意した瞬間、お腹の痛みに襲われた。

命を救うために命を絶つことをやめた。

お腹にいた子は、いまアメリカで看護師をしている。

いのちの瀬戸際でのエピソードは、聞く者の心をわしづかみにする。

一縷の希望にすがれば、その希望を絶たれ、

何度も希望と絶望を繰り返す。

しかし、大谷姉妹は諦めなかった。

大谷さんに輪をかけてパワフルで明るく行動的な姉の力が大きい。

その姿勢が、多くの人の心を動かし、不可能を可能にしていく。

茨の道を歩き、やっと骨髄移殖にこぎつけたものの、

名古屋の病院で治療を断られかけた。

その場にいた若き医師が、「お手伝いしたい」と申し出て、空気が変わった。

日本で骨髄移殖が、まだ緒についていないころのこと。

見事成功し、若き医師の書いたカルテには

「奇跡的回復!おめでとう!」という文字が躍っていた。


講演タイトル「生きてるだけで嬉しいねん」の通り、

大谷さんの気持ちに共感出来る内容だった。





(左から神渡良平さん 大谷貴子さん)