きょう昼過ぎ、秋山ちえ子さんのご子息、宣夫さんから電話があった。
「母が亡くなりました」。
いつか来る日だと思ってはいたものの、現実となってしまった。
ラジオの大先達、秋山ちえ子さんが、今月6日亡くなった。享年九十九。
秋山さんの晩年の10年間、かわいがっていただいた。
字は違うが、次男の「のぶお」さんと同じ名前であることもあって、
息子のように思っていただいた。
TBSラジオの番組出演が終わってすぐ、
NHKの番組にお招きしたいと電話したら、
「私のラジオ人生、NHKで始まりNHKで終わるのもいいわね」と
快諾していただいた。
以来、レギュラーとして、年に数回、出演していただいた。
放送を離れても親しくさせていただいた。
自宅近くの自由が丘の天ぷら屋さん、お寿司屋さん…、
よく2人で食事もした。
食事のあと、喫茶店に寄り、
2階席から東横線のプラットホームを一緒に眺めた。
「私は、ここから電車に乗り降りする人を見ているのが好きなの」
秋山さんといる至福の時間だった。
永六輔さん、鎌田實さんと4人での食事会も何回か催した。
「私がいちばん年上だからね」と、いつもご馳走になった。
ラジオ職人2人と食事出来るなんて夢のようだった。
「秋山さんをよくNHKに呼んでくれたね」と
永さんに賛辞を送られ、面映ゆかった。
よく電話がかかってきた。多い時は、週に何回も。
「あなたの声を聞くと、ほっとするのよ」
ラジオを知り尽くした人から言われると、飛び上がるほど嬉しかった。
最後に電話で話したのは、ことし1月。
誕生日のお祝いに、
ボクの一押しの「安心堂白雪姫」のお豆富をお送りした御礼の電話だった。
電話口で、弱々しい声で「美味しかった」と言われたあと、
「私は九十九よ」と口にされた。
齢九十九の積み重ね。
その足元にも及ばないが、秋山さんの志を少しでも継げればと思う。
秋山さんは、「毎日一粒の種を蒔くつもりでやってきた。
毎日蒔くのが大事。そうすれば一粒が二粒になり三粒になり、
やがて芽を出し、花が咲くでしょう」
ボクも偶然「嬉しいことばの種まき」ということばを思いつき活動しているが、
秋山さんのように、一粒一粒、丁寧な種まきを倦まず弛まず、続けていきたい。
秋山さんは、いつも愛用のストップウォッチ持参でスタジオに現れ、
時間を見計らって「それでは、みなさん、ごきげんよう」と挨拶していた。
亡くなる前日まで、食事もしていたという。
自宅で死にたいという望みを叶え、眠るような最後だったという。
「それでは、みなさん、ごきげんよう」と、
心の中で呟きながら逝かれたことだろう。