画家・中川一政が、真鶴にゆかりのある人だとは知らなかった。
岡本さんと対談した遠藤貝類博物館から、ほど近い場所に、
中川一政美術館を見つけ、岡本さんも誘い立ち寄った。
中川一政は、片岡鶴太郎さんが影響を受けた画家でもある。
鶴太郎さんは、今でも年に1回は、美術館を訪れるという。
中川は、
油彩だけではなく、水墨岩彩、書、陶芸の分野にも作品を数多く残している。
豪快な筆使いと鮮やかな原色の対比、
大きな画面構成のダイナミックな画風が特徴だ。
中川は、真鶴の景色が気に入り、アトリエも作って、足しげく通った。
案内してくれた学芸員の新井人志さんは、
「中川は、60代に入って、描くものがなくなったと、試行錯誤を繰り返していた。
69歳のとき、ヨーロッパに行き、ゴッホやセザンヌの絵を目の当たりにして、
たいしたことないと思い、帰国してからは、のびやかに軽やかにキャンバスに向かった」と教えてくれた。
大家の画家でも60代になっても悩んでいたことに、気が楽になった。
中川は、優れたエッセイも残しているが、
美術館に掲示されていたこの文章が、心に残った。
「私は、はじめて生まれてきた。
そして、あっちへぶつかり、こっちへぶつかりして歩いてきた。
瘤だらけ傷だらけである。
今度生まれてきたら、もっと賢く要領よく歩けると思うが、
あまり真っ直ぐに無駄なしに歩くのはおもしろくはないだろう」
この文言に、中川の生き方が現れている。
さらに、極めつけのことば。
「われはでくなり つかわれて踊るなり」
このことばを見て、岡本さんとうなづきあった。
そう。こういう境地になれたら、生きるのが楽になる。
抗うことなく、大いなるものに身を委ねてみると、楽。
自分が自分がという思いを消し去ってみると、
世の中の風景が変わって見えるはずだ。
岡本さんは、海に身を委ね、ムラカミはことばに身を委ねている。
岡本さんは、素潜りの記録を伸ばしながら、地球環境保全に奔走している。
ムラカミも、使うことばを吟味しながら、
諍いが減るよう小さな積み重ねをしている。
2人とも、使命感にかられている。
だから「でく友ですね」と笑い合った。
(中川一政絶筆画の前で)
(中川の茶室を再現)
(ここまでの写真撮影は、いずれも鶴崎燃さん)